五月人形の「重箱のスミ」⑤
八事山興正寺 竹翠亭
八事山興正寺 竹翠亭さんの節句のおしつらえ
八事の名勝・興正寺さんの奥の緑に包まれた中にお茶室「竹翠亭」があります。
庭園 普門園を臨む中でいただくお茶はまた格別。
どうぞお出かけください。
◇4月25日~5月5日まで
◇昭和区八事本町78番地
電話:052-832-2801
◇ご予約の上、お出かけください。
節句のしつらえ「那古野茶房 花千花」
「那古野茶房 花千花(はなせんか)」さんで節句のおしつらえ。
落ち着いた和の空間で日本のお茶と和菓子をお楽しみください。
◇4月25日~5月5日まで
◇西区那古野1-18ー6
電話 052-526-8739
◇ご予約の上、お出かけください。
端午の節句 しつらえ
三代続くお得意様宅にお節句飾りを拝見に・・・
総裏の大鎧、手描きの座敷幟、螺鈿の菖蒲屏風、本漆塗桧・本流備畳の飾台、黒檀の短檠などなど、素晴らしいしつらえです。
今では製作困難なものもありますが、端午の節句はこうでなくちゃ、の見本のようなお節句飾りです。
五月人形の「重箱のスミ」④
~「太刀」と「刀」~
お節句の飾りの鎧や兜につきものの弓と太刀。この、太刀のお話です。
お節句に飾るのは、実は、「刀」ではなく「太刀」、その中でも「飾り太刀」と呼ばれる儀仗用のもので、いくさをするための刀とは少し違うものなのです。太刀は、刃を下にして革や紐で帯にぶら下げて着けます。「佩く(はく)」と言います。対して、刀は刃を上にして帯に「差し」ます。博物館などで展示するときも、これに従って太刀は刃を下にして展示します。
公家の文化に倣って、戦国時代以後でも元服や男子誕生のときなどに、この飾り太刀を奉納し、成長を祈願しました。
良いものの中には、鍔が分銅のかたちの「分銅鍔」、柄(つか・にぎり部)は紐を巻かず、鮫皮や金属、先端が鳥の頭のものもあります。節句飾りには「縁起」が大切です。チャンバラで使うような刀を飾るのはいかがなものかと思うことがあります。
五月人形の「重箱のスミ」③
神功皇后(じんぐうこうごう)
江戸時代から戦前くらいまで、写真のような「神功皇后(じんぐうこうごう)」の人形が端午の節句によく飾られました。彼女は14代仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、三韓征討を成し遂げた方で、大正時代までは初の女性天皇としている歴史書もあったようです。大正15年、皇統が正式に定められたときに北朝系天皇とともに外されましたが、15代応神天皇が即位するまでの約60年間を統治した方です。60年というとすごく長いように思いますが、初代神武天皇は70年以上、6代孝安天皇や11代垂仁天皇は約100年間在位していたことになっています。
隣にいるおじいさんは800歳まで生きていたといわれる武内宿禰(たけのうちのすくね)で、抱いている赤ちゃんが皇后のお子様の応神天皇です。昔の人は長生きだった?
五月人形の「重箱のスミ」②
正平6年6月1日
節句飾りの鎧や兜の革の部分に、たまに「正平六年六月一日」と書かれていることがあります。これはなにかというと、この革に描かれている唐獅子や牡丹、唐草模様がお許しを得たものであるという証なのです。
南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・懐良(かねよし、かねなが)親王が征西大将軍として九州で勢力を伸ばしましたが、時に正平六年六月一日、肥後の国・八代の名工に当時勝手に描くことのできなかった獅子や牡丹、唐草模様を許し、その日を記したものなのです。この革を正平御免革(韋)と呼びます。
子供の頃、この文字が書いてある鎧や兜を探して喜んでいました。けれど、最近はとんと見かけなくなってしまいました。聞けば、どうもこの文字が書いてあると、革の半端なところを使ったもののように思われ、クレームがくることがあるらしいのです。私たちは、むしろ「当たり」「縁起が良い」と思っていましたが、どうも最近はそうではないらしいですね。説明できないお店がふえたのかもしれません。
いいものって?
この時期になると、よくお客様から、他店様で「良いものは4月にはなくなるから、今年はあきらめて来年にしなさい」と言われた、とお聞きします。
それらのお店さんで言われる「いいもの」とは何でしょう?それは、「今年のはやりのもの」という意味なのです。節句飾りは一年の一時期にしか売れません。お店や売り場そのものが5月から10月頃まで閉まっているところもあります。そして、そうしたお店ではその時期に合わせて短期間に売り切れるように、その年の「流行」を作り出し、「いいもの」として宣伝します。その「いいもの」は大量に作り、売り出され、そして、売り残さないように3月中には品切れになります。一般的な日本語の「いいもの」とは少し意味が違います。ちゃんとしたお店でしたら、5月4日にお誕生のお子様の「初節句」にも備えて、「いいもの」をご用意しています。
節句飾りはお父さんやお母さんのものではありません。そのお子さんのもので、生涯にわたって飾られるものです。飾られる回数は、赤ちゃん、子供の期間より、大人になってからの方が圧倒的に多いのです。「5年か10年しか飾らないんだから」と言っておられるお店もあると聞きます。なにかを勘違いしています。お客様に対して、極めて失礼です。
例えは悪いのですが、お仏壇を買う時に「ことしの流行は?」と聞く方はいらっしゃいません。それは、一生に一度買うかどうかのものですし、一度買えば何十年、あるいは百年以上使うものだからです。節句飾りは一生に一度、ご家族がお贈りになるもので、そうした意味ではよく似ています。
どうぞ楽しい端午の節句をお祝いください!
五月人形の「重箱のスミ」①
「兜のてっぺんの穴」
ときおり、お客様から「兜のてっぺんの穴にはめるものがない」と、
クレームをいただくことがあります。この穴にはめるものはないのです。
名前は「天辺孔」といい、穴を構成している金具を「八幡座」といいます。
この穴は何のためにあいている?
いくさは涼しい時ばかりではありません。真夏のときには陽にやかれて、
目玉焼きができるくらいに熱くなります。その熱気を逃すためにあいて
います。烏帽子をかぶった人形がありますが、平安時代から鎌倉初期には
兜はこの烏帽子をかぶったまま兜をかぶり、烏帽子の先端をこの穴から外に
出します。3番目の絵のように、兜の上から出ている黒いものです。
暑い時には当然、頭がかゆくなります。そのときはこの穴から棒を突っ込んで
掻きます。鎌倉時代後期には、兜の内側に布や革で「うけばり」というクッ
ションを貼るようになったので、兜の先から烏帽子を出すことはなくなり
ましたが、代わりに最後の絵のようにこの穴に飾り物をくっつける変な人
(””(-“”-)”)も現れました。江戸時代の節句飾りの兜にも、この穴に造花や
作り物を立てたものが見られます。