連載 重箱のスミ ㊳
屏風をほじくる その二
様式美と屏風
雪洞の問題にも触れましたが、メーカーや問屋では設定したスペースいっぱいに人形(お雛さま)本体を置こうとするので、自然と雪洞や桜橘、雛道具などを置くスペースが削られています。本来、どれも省いて良いものではありません。三曲の屏風を使うと、左右に袖部分が出っ張りますのでどうしても火袋のふくらんだ雪洞を置くことが難しくなります。そこで妙に細長い雪洞にしたり、「なくてもいいんじゃない?」とばかりに、屏風に小さなLED灯を仕込んだりして雪洞が次第に姿を消しつつあります。
また、ネットでの検索が一般化されてきたことにより、多くの人形製作者が雪洞や雛道具を略し、それがいかにもおしゃれのように掲載することで、同じ金額の雛飾りならば人形本体の占める割合を大きくしようとする動きにも一因があります。
お雛さまの美しさとは、周囲の道具類も含んだ歴史や伝統に裏打ちされた「様式美」です。伝統にとらわれないものを一概に否定はしませんが、問題はそれが一部の商品でなく大勢を占めつつあり、逆に様式に則ったお雛さまが少数派になってしまったことです。様式を無視した雛人形がふえれば、その次に来るのは雛人形・ひな祭りの消滅です。様式を備えない雛人形は、様式によって支えられているひな祭りそのものの意味を欠くことになるので、どうしてもおもちゃやベビー用品的なお飾りになってしまいます。大人になっても、おばあちゃんになってもお祝いするひな祭り。そのひな祭りをするためのしつらえであることを忘れた雛人形は、ただの面倒くさい飾りものになりかねません。
※次回は屏風の上下について。乞う、ご期待
節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ
これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。
※この記事の無断引用は固くお断りします。
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「屏風」をほじくる その一
六曲一双屏風
[ 屏風 ] 基本的な構造は、矩形の木枠の骨格に用紙または用布を貼ったもので、この細長いパネルを一扇といい、それに向かって右から第一扇、第二扇と数える。これを接続したものが屏風の一単位、一隻(一畳、一帖)である。:wikipediaより
お雛さまの屏風の基本は一本が六つの面(扇)でできており、折りたたむことができるようになったものが二本(二隻)一組になったものです。先の鳥毛立女屏風もこの六曲であったように、また、現代でも結婚式で新郎新婦の後ろに立てられる金屏風がそうであるように、それが基本なのです。(写真)
作りは、障子のような骨が組まれた下地に裏表両面から紙を貼り重ね、つなぎ目は「紙蝶番(かみちょうばん)」という独特な技法で自在に三百六十度曲げることができるようになっています。当然、中は空洞です。紙の部分を強く持つと破れます。
童謡「うれしいひなまつり」では「金の屏風にうつる灯を~」とありますが、金だけではなく絵が描かれたものもよく用いられます。お雛様の背後に屏風の縦の折り目ラインが何本も入りますので、荘厳さが増すように感じます。そして、見逃せないのは、三曲の屏風と違って左右に大きな袖がないので、雪洞(ぼんぼり)を置くのに不自由がない点です。
今では飾る場所のスペースの問題もあって三曲の屏風が主流になってしまいましたが、どうしても簡略化の印象はぬぐえません。そして、今一つの問題は、この三曲屏風の多くがつなぎ目を金属のチョウツガイで木ネジで留めて作られていることです。つまり、屏風なのに、表具がされていないのです。合板(ベニヤ)やボード(MDF)に花柄や風景を印刷したり、布や木目シートを貼りつけてできています。表具師ではなく、木工屋さんで主に作られます。表具、表装という伝統的な技術職の職人が激減していく原因のひとつにもなっています。合板やボードの屏風があってもいいのですが、基本となる表具をされた屏風を人形販売店が極端に扱わなくなってしまったことが大きな原因といってもいいでしょう。
親王台のところでも触れましたが、SDG’s的(環境)にも大きな問題があります。屏風や台でよく用いられる「木製のような板」のほとんどは「合板」か「ボード」の「木質材」といわれるもので、木材のシートやチップを接着剤で圧縮成形したものですから、廃棄しても簡単に自然に戻らず、焼却するのもガスなどの問題で容易ではありません。海洋汚染の原因のひとつにも指摘されています。きれいな木目の、一見、木製のような材料もほとんどが合板やボードに木目シートを貼り付けたもので、販売店自身も「木製」と信じて販売していることが一層の環境悪化に加担している結果になってしまっています。実際、そうした製品の多くに「木製品」の表示がなされています。家具や食器などではありえない表示です。(残念ながら、現在のところ雛人形などにきちんとした素材表示義務はありません。)
そして、こうした商品がふえることで従来の「表具師」がこしらえる屏風が消えていくことに私たちは注目しなければなりません。
六曲の屏風。 屏風の骨組み。これに和紙を貼り重ねます。
これは絵師が源氏物語を描いています。
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お雛さまの屏風展 松月堂の屏風
北村松月堂 屏風(びょうぶ)展です!
会期:19日(木)~24日(火) 会期中無休
場所:当店内
大西人形本店 中区丸の内1-8-2
諸事:観覧無料 21日(土)はお呈茶ございます(無料)
内容:いま、表具をほどこしたお雛さまの屏風はほんとうに少なくなってしまいました。
お雛さまや五月人形など、中心となるお人形はもっとも大切なのですが、能舞台に
松絵の鏡板があるように、リルケが「絵は額縁があってこそ」と言っているように、
背景や周囲を飾るものが実は重要なカギを握っているのです。
お雛さまはじめ、お節句の飾りは日本の伝統的な文化の真ん中にあるものです。それを
引き立てる舞台装置はやはり伝統的なものでなければなりません。それが一番美しいからです。
佳いお雛さまなら当然のこと、ふつうのお雛さまでも屏風ひとつで見違えるように
すてきになります。
そんな「屏風のちから」をどうぞご覧ください。
お待ちしてます!
(※ベニヤやボードを使った屏風?の多くは木工屋さんによって金属チョウツガイで
つながれますが、本物の屏風は「表具師」によって紙蝶番という表具によって
一枚一枚がつながれます。北村松月堂さんは、節句用の表具師の最高峰です。
美しい表具と、そこにほどこされた美しい絵をご覧いただきます。)
北村松月堂「屏風展」 開催予告
第39回 いづ美会
北村松月堂 「屏風展」 9月19日~24日
観覧無料 21日(土) 北村氏のお話と実演あり 茶菓接待
人形屋なので人形があるのは当たり前ですが、このような雛道具も
大切なアイテムのひとつです。屏風は特にその面積が大きいので、
お雛さまなど節句飾り全体の品格を大きく左右します。
「表具」された屏風を見る機会は少なくなってしまいましたが、
本物の屏風をこしらえる最高峰の「表具師」北村松月堂さんの屏風の
持つ「ちから」をご覧ください。
お待ち申し上げております。
※「いづ美会」とは、当店を支えてくださる多くの作家、職人さんたちの、
ふだんなかなかお目に留まらない仕事をご紹介する催しです。
今回で39回を数えることになりました。どうぞお越しください。
連載 重箱のスミ ㊱
親王台 その三
藺草(いぐさ)を使ってなくてもタタミ?
積水成型工業さんでは、同様の「MIGUSA」という畳を樹脂加工製品と説明しています。
「高度な樹脂加工技術が『MIGUSA』という製品を創り出し『畳』という古来伝統との融合と進化を可能にし・・・」
「古来伝統との融合と進化」ではなく、「古来伝統のものを化学製品に置き換えた」だけのもので、「融合」しているようには思えませんし、「進化」でもないように思います。それは、グラウンドの天然芝を人工芝に置き換えたのと同じではないでしょうか?それぞれに用途・目的の違いがあって、良い、悪いと一口で言いきれない「場面による使用方法・目的」によって使い分けられるもので、人形の台に化学製品を用いることの是非は、別の視点で問われるべきものだと思います。
居酒屋さんの畳にはとても優れた(汚れにも強い)ものだとは思いますが、お茶室や料亭さんの座敷に使われることはまずないでしょう。お雛さまの台は、どちらに近いものでしょうか。
イ草の代用品が現れたことによって、イ草農家はたいへんな危機に陥っています。最近唱えられているSDG’sのことを考えても、樹脂加工された「和紙畳」が環境に良い素材とは思えません。
わたしたちの業界には、すでに絶滅してしまった品物・技術がたくさんあります。なにかが絶滅する瞬間と言うのは、だんだん需要が少なくなって消滅するのではありません。ある程度少なくなったところで、突然、残った数軒の業者がいちどきに廃業や製造中止し、日本から(あるいは地球上から)その商品や技術が消滅するのです。伝統的な工芸品が文化の一部とするならば、その文化が消滅するのです。畳はわたしたちの業界だけでなく、広く建築内装関係でも用いられてきました。これまで畳を使う仕事に携わってきた人たちの多くがイ草から合成畳に切り替えることによって、ある日突然、世の中からイ草畳が消えるということが起きるかもしれません。こうした不安を杞憂(きゆう)といわれる方もいらっしゃいますが、多くの絶滅品目を実際に見てきた者にとっては不安でなりません。キャンディーズの「微笑み返し」の中の「畳の色がそこだけ若いわ」の哀愁は、もうすでに今の若い人たちには何のことやらわからないでしょう。
繰り返しになりますが、最も肝心なことは、多くのお雛さまにとって合成畳の人工的な黄色とは色目が合わないことです。自然なイ草の色の畳の上にあって初めてお雛さまの装束の美しさが際立ちます。特に有職系の上質な装束を用いたお雛さまであればあるほど、着色された合成畳の黄土色とは調和しません。
色彩に対する繊細な感覚というのは、わが国では平安時代に極めて高度に研ぎ澄まされました。恋愛の手紙ひとつをとっても、さまざまな色目の紙を時季の草花の色目と合わせ、さらにそこに「香り」までも調合させて贈るという、世界でも類のない美的な感覚を生み出したのです。戦後、森英恵さんがパリへ進出した際に紹介したという、千年近く前に著された「満佐須計装束抄(まさすけしょうぞくしょう)」は世界で最初のファッションカラーコーディネート本として驚嘆の的となりました。
イ草の畳に飾られた黄櫨染のお雛さま
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親王台 その二
藺草(いぐさ)を使ってなくてもタタミ?
また、いま、環境問題は大きな社会問題となっています。節句品産業はこの環境問題と親和性が高いように思われていますが、実際にはそう簡単に言いきれない現状があります。この親王台の畳ひとつとっても、最近はほとんどが「和紙畳」という商品名の合成畳になってしまいました。この「和紙畳」という名称から、私たちはコウゾ・ミツマタなどの和紙を使った自然素材の畳のように思ってしまいますが、実際には木材パルプなどの原材料を樹脂と混ぜ、細いストロー状に成形して編んだもので、環境に優しいとは到底言えるものではありません。しかし、多くの利点があり、価格も従来のイ草畳とそれほど変わらないために現状ではお雛さまの畳はほとんど「和紙畳」になってしまいました。節句飾りにおいて、和紙畳の一番の利点は「灼(や)けない」、そして「品質にばらつきがない」と言う点です。百貨店などの展示で長時間スポットライトをあびたイ草畳は、どうしても灼けてしまいます。そこで「灼けない」和紙畳がイ草にとって代わることになりました。お客様のためというより、むしろ業者にとって都合の良い商品といえます。
実際の住宅畳業界においても、「灼けない」に加え耐久性や撥水性、ささくれない、などの点から和紙畳はたいへん重宝されています。製造元のダイケンさんのホームページには「機械すき和紙を使用しています。コウゾ、ミツマタ等を使用した手すき和紙ではありません。」と紹介されています。
ちなみに、広辞苑では和紙のことを以下のように説明されています。
【和紙】わが国特有の紙。古来の手漉きによるものと、機械漉によるものとの二種がある。前者は、コウゾ・ミツマタ・ガンピなどの靭皮(じんぴ)繊維を原料とするもので、手紙・美濃紙・奉書・鳥の子などの種類があり、後者は、故紙・木材パルプ・ぼろ・マニラ麻やミツマタの繊維などを原料とするもので、ちり紙・京花紙・書道用紙・仙花紙などの種類がある。わがみ。
私も、和紙とは上記広辞苑にある前者の「コウゾ・ミツマタ~」のようなものだと漠然と思っていたので、パルプやマニラ麻を使った機械漉きをも「和紙」と表現できるのだと、今回初めて知りました。「和」とは日本のことを指すとばかり思っていましたが、マニラも「和」に入るのですね。説明冒頭の「わが国特有の紙」と、以下の説明文、特に「故紙、木材パルプ、ぼろ、マニラ麻や~」の部分に整合性があるのかどうか、はなはだ疑問があります。要するに、日本製でちり紙や京花紙、書道用紙など「和」的?な用法に供される紙であれば、材料や製法に関わらず「和紙」と呼んでも良いということなのでしょうか。それとも、日本製であればすべて「和紙」?
黄土色に似合うお雛さまは滅多にありません。自然な色目のイ草畳は、どんなお雛さまをもってきてもしっくりと調和し支えてくれます。また、イ草畳はお雛さまと歩調を合わせてゆっくりと経年変化していきます。しかし、いつまでも色あせし続けるわけではありません。畳だけが経年変化せず、いつまでも黄色いままとだというのはかえって不自然です。さらに、よいお雛さまは年を経てもみすぼらしくはなりません。持主様とともに年を重ね、経年進化していくのです。
左が「和紙畳」 右が「イ草の畳」です。合成着色料による黄土色が似合うお雛さまはそんなにありません(と思う)。
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重陽の節句
今日は新暦で重陽の節句です。菊の花が主役なので、さすがに新暦では苦しいですね。
人形は「菊慈童」。亡き母が40年ほど前にこさえたものです。この子はいくつ?そうね、だいたい700歳。
菊に薄い真綿をかぶせてあります。
重箱のスミ ㉞
親王台 その一
藺草(いぐさ)を使ってなくてもタタミ?
通常、男雛女雛は「親王台」という畳の台に載せて飾られます。畳の前後には繧繝縁(うんげんべり)というきれいな縞模様の布が縫い付けられています。繧繝の「繧」は「ぼかす」、「繝」は「ぼかすように織る・染める」で、繧繝とは綺麗な色のしま模様に菱形などの文様を入れてぼかすように織ったり染めたりした布のことを指します。色や文様も一通りではなく、赤や朱色を主体にしたものや、やや落ち着いた色目のものもあります。美しい色合いの繧繝縁の畳は帝や高い位の方専用です。中世の絵巻物などでは人物そのものが描かれずに簾(すだれ)の下からこの繧繝縁の台だけが見えていることがよくありますが、これは、そこに帝や后妃がいることを表しています。
親王以下は白地に黒のキャベツの輪切りのような「高麗(こうらい)紋」という文様で、位によって「大紋(だいもん)」「中紋(ちゅうもん)」「小紋(しょうもん)」と文様の大きさが変わります。キャベツではなく、雪割草ともいわれますが真相はわかりません。
中世のお部屋は畳敷きではなく、板の間に持ち運び自在の畳数枚を敷いていました。そこで持ち主を分かりやすくするために畳べりでも違いがわかるようにする意味もあったのでしょう。
お雛さまはなるべく高貴な姿を表して厄除けの祈りや感謝の対象とするもので、十二単や束帯の姿をしている以上、そこには繧繝縁の畳台がかならずなければなりません。位の低い人は畳にすら上がれず、桟敷(さじき)や板の間にしか進めませんので、板の上にお雛さまを飾ることは避けなければなりません。ところが最近、ときどき板の台にお雛様が載せられているものを散見します。お雛さまをはじめ、伝統的といわれる文化行事には必ずそこに「様式」があります。それを支える工芸技術・素材などが時代によって変化するのは避けられないことですが、やはりそこにある「意味」や「いわれ」をないがしろにされることは、依(よ)って立つべき伝統的な文化そのものが変質してしまうおそれがあります。畳に載せられていないお雛さまに意味やいわれを見出すことができるのかどうか。木目込人形などの創作的なデザインのお雛さまはともかく、実際の装束に寄せてつくられたいわゆる有職雛系(※)のお雛さまが、板の上に載せられている様子はわたしたちの目から見ると「奇異」ですらあります。少なくとも有職雛と呼ばれる種類のお雛様ではその様式の意味をしっかり理解し、それに則(のっと)ることが必要なのだと思います。
(※)有職雛系
有職(ゆうそく)とは「有職故実」の有職と同じ意味で使われています。古くは「有識」と書かれていました。有識からわかるように、数々の行事のしつらえや装束、段取り、作法などのことを有職と呼び、今の「有識者」の有識と同じような意味で使われていました。雛人形の場合には、そうした儀礼装束に則った着付けがされているものを有職雛と呼びます。現代では、京雛など着付けをほどこした雛人形はこの有職系のものと言えるでしょう。着付けの雛人形でも、デフォルメされた江戸時代中期の「享保雛(きょうほうびな)」などは有職雛とは呼ばれません。写実的な雛人形と言い換えることもできます。
京雛の多くはこの有職雛と言えますが、対照的なのが「木目込雛」です。元は小さな木彫りの顔・胴体に裂地を貼り付けたものでしたが、桐塑という木粉粘土が胴体に用いられるようになって量産が可能になりました。自由な造形が可能になり、着付けの有職雛とは違った味わいのお雛さまができるようになりました。他に、博多人形や奈良の一刀彫のお雛さまなど、それぞれ味わいのあるお雛さまがあります。
ここまで書かれてきた重箱のスミ的なことがらは、主にこの有職雛に当てはまるお約束事のあれこれです。では、なぜ、そんな面倒くさい約束事に縛られて人形をつくらねばならないかと言うと、ひとことで言えば、「そうすると美しい」からなのです。さらに言えば、不思議と上品な作品になるからです。
美しい繧繝縁の親王台。イ草の畳です。
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五人囃子 その二
きみたち、いくつ?
また、五人囃子は子供の姿をしています。お小姓衆の設定なのでしょうか。お小姓といえば有名なのが信長に仕えた森蘭丸です。12歳で取り立てられたようです。他にも、前田利家は同じ信長に12歳、石田三成は秀吉に14歳、井伊直正は家康に14歳で取り立てられています。お小姓とはそれくらいの年齢のもののようです。しかし、五人囃子の髪型はその年齢ではなく、もう少し幼い年齢のおかっぱ頭で、せいぜい10歳くらいまでのものです。本来、それくらいの武士の子の髪型にはいろいろな種類がありました。子連れ狼の大五郎は、頭頂部と前髪、側頭部に少し髪を残しつるつるに剃り上げられています。武士の子の多くは、一部を残しつるつるに剃り上げたスタイルです。お小姓に取り上げられる年頃には若衆髷(わかしゅうまげ)という、大人の髪型に近いスタイルになります。この五人囃子はちょうどその中間くらいの、お小姓に採り上げられる前の髪型に見えます。近習の優秀な子供たちが演奏のために集められているところかもしれません。
それにしても、なぜ、この子たちは官女や右大臣左大臣と同じような大きさなのでしょう。八頭身くらいあります。本来ならばもっと小さく四~五頭身くらいに作られないといけませんが、なぜか大人と同じ大きさに作られています。こどもでもとりわけ背の高い大きな子を集めた設定かもしれません(笑)。
男雛女雛が公家だとしたら、五人囃子は雅楽を演奏しているのが妥当です。また、その装束も武士の裃(かみしも)ではなく、直衣(のうし)、狩衣(かりぎぬ)のような姿のはずなので、この子たちは武家の子息なのです。髪型も公家の子ならば角髪(みずらがみ)という髪型で、かぶっている帽子も侍烏帽子(さむらいえぼし)ではなく、立烏帽子(たてえぼし)のようなものになります。
もっとも、お内裏雛はお供の人形の何倍もある大きさなので、五人囃子だけを「大きすぎる」というのもおかしいのかもしれません。(※)
これも、「人形なので」笑ってスルーしていただかなければならないところです。いろんな矛盾や誇張が入り混じっていますが、それぞれの立場の人々の要素が取り入れられていると考えれば、楽しさがいっそう増すというものです。
(※)お釈迦様の身長は丈六(じょうろく)といって一丈六尺、5メートル弱だったと伝えられています。貴い人は大きかったのでしょう。そう考えるとお内裏さまの大きさもうなづけます。
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