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連載 重箱のスミ ⑯

 女雛  その一

   ~女雛の冠? 髪型~

 一般の女雛の頭についているものは、冠ではなく釵子(さいし)という髪飾りです。「平額(ひらびたい)」、「三本のかんざし」、「櫛(くし)」によって構成されます。

 平額は円盤に三本の剣のような突起が出ている金属で、これを額の上の宝髻(ほうけい)という髪をまるめたところに結び付け、三本のかんざしで固定します。内一本は角ばったコの字型で前から差し込み、U字型の二本は左右から宝髻に差し込みます。櫛は前から平額の下に差し込みます。この櫛にときどき絵が描かれていることがあります。櫛ですので、背の方を上に(歯の方を下に)描かれていなければなりませんが、逆のことがよくあります。人形として見た場合にはその方が良いように思ったのかもしれません。多くは金属製ですが、絵が描かれているものは木製です。どちらが良いという類のものではありませんが、中には黄楊(つげ)の本物の櫛のついたものもあります。

 髪型は「大垂髪おすべらかし)」という、美智子様、雅子様も即位礼でされたかたちのものです。長い髪の毛を後ろで束ねるのですが、五か所で結ぶことになっています。その一番上は「絵元結(えもっとい)」といって絵がかかれていたり、金箔を散らした檀紙などで、二番目は赤い水引、以下の三本は白い水引で、と決まっていてそれぞれ片蝶結びにされます。これも、人形では金紙や白水引だけで結ばれていることがほとんどです。これをほどいてしまう方がいらっしゃいますが、結び直すのはけっこうたいへんなのでほどかないようにしてください。ほどいてしまったら、人形店へお持ちくださいね。この「おすべらかし」にした場合の髪飾りには釵子をつけますが、冠(宝冠)をかぶせるときには「下げ髪」とか「垂髪(すいはつ)」という、二つに分けて後ろに長く垂らした髪型にします。   ~つづく~

おすべらかしに黄楊櫛釵子のお雛さま

 

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

※この記事の無断引用は固くお断りします。

連載 重箱のスミ ⑮

冠   その二

男雛の冠

 男雛のかぶっている黒い帽子、これは「冠」なのですが「烏帽子(えぼし)」とよぶ方がしばしばいらっしゃいます。烏帽子は「黒い帽子」の意味ですから、そう呼ぶのも無理はないかもしれません。でも、やはりこれは「冠」なのです。英国チャールズ王の戴冠式で世界中に報道された王冠、王様の冠としてはあれくらい立派だとだれが見ても冠ですが、日本でもこのようなゴージャスな天皇の冠はあるのです。冕冠(べんかん)とよばれるもので、孝明天皇(明治天皇の父)までは用いられており、中央の先端の日章旗のような太陽の中に八咫烏(やたがらす)を配したわが国独特のものです。明治天皇から使われなくなってしまって、ちょっと惜しい気がします。皇后にもこのような冠があり、寶冠(ほうかん)と呼ばれます。

 即位礼などでは、本来ならこの冠が用いられるところなのですが、代わりに用いられるのでこの黒い方も「冠」と呼ぶのでしょう。あるいは、正式の行事にかぶられるものは形を問わず冠と呼ぶのかもしれません。

 明治天皇は即位礼のとき、父帝まで用いられていた「袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)という装束を現在のような黄櫨染の束帯に改められました。「光る君」で幼い一条天皇が即位のときに着ていたのが袞冕十二章です。明治天皇はこの中国風の装束をチャラチャラしていると嫌って変えられたそうですが、せっかく改めた黄櫨染の束帯ものちに惰弱だとして、軍服を着用されるようになりました。明治6年に髷(まげ)も切られ、冠もかぶられなくなった姿を見て、後宮の女官たちは腰を抜かしたそうです。それまでは白いお化粧もしておられたのですが、以降はほとんどされなくなったようです。明治元年のこの即位礼の黄櫨染の束帯装束が現代まで続いているのですが、それ以前の即位礼には中国風の衣装と冕冠が用いられていたのです。

 余談です。天皇の装束を改めるにあたって後宮の女官たちの強い反発があり、当時の明治政府は多くの女官を免職させ、そのせいでやり方がわからなくなってしまった宮中儀礼があり、儀礼そのものを改めざるを得ないような状況もおきたようです。

 ちなみに袞冕十二章の袞は「袞衣(こんえ)」とよばれる衣装のこと、冕は「冕冠(べんかん)」という冠のこと、十二章は袞衣に刺繍されている模様のことです。日、月、星座、龍など十二種類の縁起のよい図柄です。

 知っていても何の役にも立ちませんが、お雛さまを飾るときに思い出すとなぜかちょっと楽しくなります。

 明治天皇から使われなくなった冠(冕冠)

 

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見本市開催!

はやくもお正月飾りやお雛さまの見本市。

今日から開催です。当店は出展していませんが、吹上会場でも合同見本市を明日、明後日と開催されます。

名古屋へお越しの際はどうぞお立ち寄りください。

名古屋駅から車なら5分、名古屋城とのちょうど中間です。

一般の方もご覧いただけます。

連載 重箱のスミ ⑭

冠  その一

 男雛の冠

 男雛の頭にかぶせる黒い冠。冠の後ろ側には細いパイプ状のもの(纓壺えいつぼ)がついていて、ここに纓(えい)という羽根のようなものを差し込みます。帽子部分の上に高巾子(こうこじ)という、髷(まげ)を納めるための楕円形の出っ張った部分があります。ここに横から笄(こうがい)を髷に刺し貫いて冠が落ちないように固定するのですが、鎌倉~室町時代には形式的になって、紙縒(こより)や紐を用いてあごの下で結んでかぶるようになりました。即位礼では白い紙縒りを使って、高巾子の前で交差させあごの下で結び、余分を断ち切っています。

 左大臣、右大臣も同じようなものをかぶっていますが、これに付いている纓はくるくると巻いたもの(あるいは下に下がったもの)がついています。

 男雛についているものはほとんどが立纓(りゅうえい)といってまっすぐ上にのびたかたちですが、左右大臣の巻かれたものは巻纓(けんえい)といいます。(下にさがったものは垂纓すいえい)他にも細纓、縄纓など地位や役職、時代によっても多くの種類がありますが、現代では六種類となっています。

 立纓は天皇の冠にのみつけられるもので、男雛もそれにならって立纓がつけられています。お雛さまは必ずしも天皇皇后を表しているわけではなく、漠然と位の高い人の姿を表しているということで立纓になっています。➀で出てくる、黒い装束は天皇が着られることはありませんので、本来ならば垂纓が用いられます。

 例外的に賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ=上賀茂神社)の宮司さんも立纓です。

 上賀茂神社といえば、ここの御定紋(御神紋)は二葉葵(ふたばあおい)です。徳川家の紋は三葉葵ですが、京都の北部は古代から賀茂氏が支配しており、その紋章が二葉葵で、これを賀茂氏が徳川家に献上したとか、安祥城攻めのとき酒井氏忠がお盆に葵の葉三枚を敷き、その上に熨斗鰒(のしあわび)、搗栗(かちぐり)、昆布を載せて進上したところいくさに勝ったので縁起が良いとして三葉葵を酒井氏の紋にせよと授け、その後、その縁起を買って徳川家の家紋として召し上げられたとかいろんな説があります。(=江戸時代史 講談社学術文庫)  ーつづくー

次回、世界の王様たちの冠はとてもゴージャスなのに、なぜ日本の天皇の冠はこんなに地味なのか?いよいよどうでもいい話が佳境に入ります。

 男雛の冠。本来はこのように結びます。

 

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連載 重箱のスミ ⑬

三種の神器  その四  刀

山田浅右衛門のお話

 私が学生のころ、小島剛夕の「首斬り朝」という、たいへん面白い漫画(劇画)がありました。罪人の首を斬る役目を務めている山田朝(浅)右衛門の物語です。数千人の首を斬って、斬り損ないなしという恐るべき手練れでした。

 その名前は代々「御様御用(おためしごよう)」として引き継がれ、幕府に重用されていたのですが役人ではなかったようです。初代は将軍吉宗のころの人物で、明治になるまで代々役目は続いていました。斬った罪人たちのために費用を惜しまず供養をしたり、罪人の辞世の句を理解するために俳句を学び俳号まで持っていたような人物でした。一人斬る度に、その夜は死霊に憑かれないよう酒宴を開いて眠らないようにしたとも伝えられています。

 この漫画の中でひとつ印象深い話があります。あるとき、あばたづらの侍が酒場の女にその面体を笑われてかっとして切り殺してしまい、それが元で大騒動をおこして朝右衛門のまえに引き出されます。男は「武士の面体(めんてい)を笑った女を殺して何が悪い」と息巻きますが、朝右衛門は静かに「武士に面体は無用、武士が怒るのは『卑怯者(ひきょうもの)』とそしられたときだけであろう。」と諭すと、男ははっとして粛然と首を差し出したというものです。今の大人たちにも(子供にも)読んでもらいたいお話です。(50年ほど前の記憶によるものなので、物語の細部は違っているかもしれません。)  ーつづくー

 付記:先日、教師から「卑怯者」と叱責された高校生が自殺するという、痛ましいできごとがありました。実は、この「卑怯」という言葉の意味も時代や立場によって大きく変化しています。女に変装して油断させ、隙をみて敵を切り殺すのが英雄譚として語られることもありますし、現代の戦争では飛び道具ばかりですが「飛び道具とは卑怯なり」と言われた時代もあります。また、昨今の裏金問題への政治家の「超」卑怯な、なんの責任をとらない人たちをお手本にすれば、現代では卑怯者という言葉にそれほど深く反応することはないのかもしれません。しかし、純粋な若者に対しての叱責としてはもう少し言い方や言葉を選ぶべきだったのでしょう。残念でたまりません。

 

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連載 重箱のスミ ⑫

三種の神器  その三  太刀

 ふつう、刀といえば時代劇で出てくる武士が腰に差している大小を思い浮かべます。他にも大きさや用途によっていろいろな種類がありますが、「太刀(たち)」と「大刀(だいとう)」はどう違うのでしょう。

 外見的には、時代劇の武士が腰に差している二本の刀の大きい方が「大刀」です。一方、男雛や、時代劇でも甲冑を着た武将が腰にぶら下げているのが「太刀」です。「差している」のと「ぶらさげている」の違いがあることからわかるように、装着方法によっての違いが一番大きく、鞘(さや)の拵(こしら)えが違います。美術館などで刀身を展示するときも、太刀の場合は刃を下に、大刀の方は刃を上にして展示したりします(必ずしもこの原則とおりではありません)。では、刀身そのものに違いはあるのでしょうか?

 太刀は基本的に馬上で甲冑を着た武士が振り回すために作られており、大刀より少し長いものが多いようです。(これも、平均的に少し長いという意味です。)

 太刀に限らず、日本刀は刀身に鍔(つば)や柄(つか)をつけたとき、柄がすっぽ抜けないように刀身の柄に収まる部分に目釘穴(めくぎあな)という小さな穴をあけ、柄を取り付けたときこの目釘穴に竹の目釘を通して抜けないようにします。この柄に収まるにぎりの部分を茎(なかご)と呼び、刃の部分と茎の境目辺りを区(まち)と呼びます。この茎に空ける目釘穴の位置が、太刀の場合には区から指四本、大刀の場合は指三本分といわれています。太刀と大刀の用途の違いによって位置を変えているのでしょうか、理由はわかりません。

 この穴に通す目釘には竹が使われます。真竹(まだけ)を燻(いぶ)したり油をしみ込ませたりしたものや、一番良いものは古い民家の屋根裏や天井で自然に燻された「煤竹(すすだけ)」といわれています。また、この目釘穴も通常は円形ですが、中には「瓢箪(ひょうたん)形」や「猪目(いのめ)形(※)」などがあって、楽しめます。ときには目釘穴が三~四個空いているものもあります。頻繁に用いたり力づくで用いたりするための刀では目釘を数本にしたようです。有名な首切り山田浅右衛門(※)の刀などは絶対に抜けたりしないよう目釘も多かったといいます。

(※)猪目

 ハート型の文様。火除け、魔除けとして神社建築や鎧兜、太刀などにもよく使われます。猪(いのしし)の目がなぜハート型なのかわかりません。(図)

 兜のクワガタにつけられた猪目

(※)首切り山田浅右衛門については次回!

 

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連載 重箱のスミ ⑪

三種の神器 鏡 その二

神武天皇の携える三種の神器。手に金色のトビのとまっている梓弓を持っています。

 銅鏡は、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡からたくさん発掘されています。その中でも代表的なのが三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と呼ばれる、直径十五~二十センチくらいの円形で周囲の断面が三角形になっている鏡です。伊勢神宮にある八咫鏡(やたのかがみ)はこれよりもずっと大きく、伝えられる見聞録によれば「八頭花崎八葉形(やつがしらはなさきはちようけい)⇒写真参照」で、四十六センチほどの大きさとなっています。かつては、銅鏡は中国や朝鮮半島からもたらされたものと思われてきましたが、近年ではその多くは日本国内で製作されたものとする説が有力です。やや凸面鏡で、鏡面を上向きに置いたとき安定するように周囲が三角形に盛り上がっています。令和五年二月、奈良の富雄丸山古墳でとんでもない鏡と剣が発見されました。盾形の銅板に神獣文様が入った鏡と、二メートルを超すうねった蛇行剣です。当時の奈良にこうした優れた金工職人がいたことを示しています。神武東征(※)の際の事情を解くカギになるかもしれません。

 二メートルを超す大刀といえば、名古屋・熱田神宮には斬馬刀と呼ばれる巨大な太刀(二メートル二十二センチ)があります。姉川の戦いで朝倉軍の真柄直隆(まがらなおたか)が使ったというもので、同寸、同重量のレプリカが同神社草薙館に展示されており、実際にさわって持ち上げることができます。どうぞ持ってみて下さい。

(※)神武東征

古事記、日本書紀に載っているお話で、紀元前七世紀、九州日向から瀬戸内海を通って東へ向かい、幾多の敵を倒しながら最終的に今の奈良県橿原(かしはら)に都を築いたという言い伝え。金のトビがとまっている弓を持った神武帝の人形は、この時の姿を表しています。古事記、日本書紀はここから千数百年を経過してから書かれているため信憑性については諸論があります。

 

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連載 重箱のスミ ⑩

三種の神器 鏡 その一

 南北朝時代に、この三種の神器をめぐって争いがおきましたが、それは、これを所持する者が正当な帝の証といわれていることによります。しかし、近世以降、「神器を持つものが帝」から、「帝が持っているものが神器」と変わってきました。草薙剣はだれも見たことがなく、中世でもレプリカなので当然と言えば当然でしょう。

 鏡は銅鏡です(鉄製も)。鏡と鏡獅子、鏡餅の関連は、拙著「今伝えたい節句のお話」をご参照いただきたいのですが、鏡は銅の表面を水銀メッキしたもののことです。よく磨いた銅板の上に水銀と鉛の粉で鏡面を作ったそうです。江戸時代には「鏡研ぎ」という職業があって、時間が経って映りが悪くなった鏡を磨く職人が定期的に回っていました。彼らは朴(ほう)の木の炭で鏡面を磨き、薄くなった水銀を補って映りをよくしました。磨くときは京都鴨川の水が最も良いとされていたそうです。現代では表面をガラスで覆っているので磨く必要はなくなりました。  ーつづくー

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連載 重箱のスミ ⑨

平緒と太刀のこと その二

 太刀はありませんが、平緒がつけられている例

 男雛の腰のところからきれいな帯が下がっています。これが平緒です。太刀を下げるためのもので、太刀はついている紐でこれにくくりつけられ帯の端をこのように前に垂らします。太刀をしまうとき、この平緒についたまましまわれることもあります。つまり、平緒と太刀は一体のものであり、太刀なしの平緒、あるいは平緒なしの太刀はありえないことになります。しかし、これも、人形の場合、平緒がないとなんとなく寂しいので、太刀を佩かない場合でも平緒を付けることがあります。組紐や色とりどりの織物で美しいものです。

能や狂言の装束でもこの平緒のような帯が同じように下げられていますが、これは平緒ではなく帯と呼ばれています。 ーつづくー

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連載 重箱のスミ ⑧

平緒と太刀のこと その一

  ~太刀は佩く、刀は帯びる(または差す)~

 人形用の太刀

 天皇の象徴として三種の神器(じんぎ)があります。

 三種の神器とは「鏡、剣、勾玉(まがたま)」、すなわち「八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ=草薙剣:くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」のことです。現在は、鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、勾玉は御璽(ぎょじ)となって皇居にあり、鏡、剣は天皇と言えど見ることもできず、「そこにある」ことになっています。即位の礼などで用いられる現在の三種の神器はそれぞれの形代(かたしろ)であり、鏡は皇居の神殿にも祭られています。

 草薙の剣は、「剣」なので諸刃の直刀だと思いますが、だれも見た方はありません。即位などのときには、儀礼用の「反り」のある太刀が用いられています。草薙剣はご存知のように、日本武尊(やまとたけるのみこと)が所持していたものですが、儀礼用の太刀には鞘(さや)や柄(つか)に美しい装飾がほどこされ、装飾された紐で刃の方を下にしてぶらさげるようにして佩(は)きます。  ーつづくー

 

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