端午の節句の主役「神功皇后」と、「八幡」 ~その2~
さて、神功皇后の子、応神天皇はこうして七十歳になって即位するのですが、世間で言われる「八幡様」は多くの場合この応神天皇のことを指しています。では、八幡とはなんのことでしょうか。
一説にはわが国土着のもっとも古い信仰神といわれています。大分県宇佐神宮は全国に四万数千社あるといわれる八幡社の総元で、神功皇后が三韓征伐のときに八流(やながれ)の幡(ばん・はた)を立てたことや、応神天皇誕生の時に屋根の上に八流の幡がひるがえったことなどから八幡(やはた)と呼ばれるようになったと言われています。平安時代になって神仏習合の習いが広まり、仏教式に「はちまん」と呼ばれるようになりました。
仏教式に、というのは、仏教とともに漢字が大陸からもたらされるまで、日本には文字がありませんでした。当初は仏教は学問としての面もあり、それこそ命がけで中国に渡った学僧や優秀な政権中枢の子息たちが仏教とともに文字を学び、日本語にとりいれていった歴史があるからです。
多くの八幡社では、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、比売神(ひめがみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)らの内の三柱が御祭神となっています。平安時代以降は、清和源氏、桓武平氏等の武士の尊崇を集め武士の守り神として多くの八幡社が作られました。八幡太郎義家などの名前にもつけられているように源氏系ではその後も家康に至るまで守護神とされてきました。頭の頂に神が宿るよう、兜のてっぺんの穴は「八幡座(はちまんざ)」と名付けられています。
よく「若宮八幡」とか「若宮神社」という神社がありますが、若宮八幡の場合には応神天皇の御子・仁徳天皇のことを指し、一般の若宮神社の場合は応神天皇に限らずそれぞれの御祭神のお子様をお祭りしてあります。名古屋の若宮八幡社の御祭神は仁徳天皇、応神天皇、武内宿禰の三柱とのことです。前に述べたように、ここの山車は神功皇后です。
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