連載 五月人形の重箱のスミ 63

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弁慶と牛若丸

京の五条の橋の上で月を見上げる弁慶

 

 これも実在の人物です。牛若丸はご存知、源義経の幼名です。といっても、若い方たちに通じないことがふえてきました。

 京都の五条橋での邂逅(かいこう)は有名で、歌にもなっています。

一、京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 長いなぎなたふりあげて 牛若めがけて切りかかる

二、牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く

三、前やうしろや右左 ここと思えば またあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった

 歌にあるように、橋の欄干の上の牛若丸と、長刀(なぎなた)を持った弁慶の人形は、かつてはよく作られていました。多くの場合、弁慶は僧形で袈裟(けさ)姿、長刀をもって背中に七つ道具を背負っています。対する牛若は髪を稚児輪(ちごわ)に結い、女物の薄手の単を頭にかけ、笛をもち、扇子を投げつけています。履物は下駄です。いまも、京都の五条大橋の西端にこのふたりの石像があり、観光名所の一つになっています。

 この後の弁慶義経の話は、歌舞伎の「義経千本桜」や「勧進帳」で有名です。弁慶は頭の悪い乱暴者のように描かれることが多いのですが、「勧進帳」にもあるように、白紙の巻物をさも本当に書かれているように朗々と読み上げるような知力もある人物です。弁慶単体の人形はありますが、牛若丸単体の人形はなぜか少ない。多くが欄干の上に飛び乗った牛若と、長刀を持った弁慶の対の人形ですが、最近はあまり見ることも少なくなりましたが、これこそ大人になって歌舞伎に親しむきっかけとなるかもしれない大切なものなので知っておくと良いと思います。義経を守り、最期は「弁慶の立ち往生」という言葉があるように、主君を守る鑑(かがみ)として節句人形のひとつになりました。交通渋滞などの「立ち往生」の言葉もここからきています。「釣鐘弁慶」「勧進帳」「五条橋の牛若と弁慶」など、もっとも多くの種類の人形が作られた人物です。

 また、義経は同時代に関白九条兼実の息子に良経という同じ読みの息子がいたため、謀反人となったとき、兼実は勝手に「義経」を「義顕(よしあき)」と改名させています。義経は衣川(ころもがわ)の戦いで亡くなりますが、一方の良経は摂政となり、歌人としても百人一首に載せられています。

 「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかもねむ」

 

 

 

 

 

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