連載 五月人形の重箱のスミ 75

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

甲冑 兜 ~その十二~

 唐獅子③

連獅子

 唐獅子はインドライオンかもしれませんが、仏教や能、歌舞伎では牡丹の精、聖獣と言われています。能や歌舞伎に「石橋(しゃっきょう)」という演目があります。お話は、慈覚大師や弘法大師よりも百数十年の後のこと、中国に渡った寂昭(じゃくしょう)法師が経典を求めて清涼山(せいりょうさん)の麓(ふもと)へたどり着きます。そこから山中へ入る細い石の橋があり、周囲には牡丹が咲き誇っています。寂昭法師がいざ橋を渡ろうとすると、あの赤い毛の獅子が躍り出て法師の前で舞い踊ります。ときに紅白二体のときもあり、この時は赤い方がより活発に踊ります。これは、親子の獅子で、赤い方が子獅子なのです。よく、獅子は我が子を千尋の谷底に突き落とし、無事登ってきた子だけを育てるといいますが、児童虐待ですね。ま、子を甘やかしてはいけないという教訓ととらえましょう。牡丹の精なので、よく牡丹と一緒に絵に描かれます。健さんの「背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹」を思い浮かべる方も多いでしょうが、本来は仏教思想に基づいた格調高い絵柄なのです。中世には勝手に用いることのできない絵柄で、この後、鎧のお話で述べるつもりですが、「正平六年六月一日」のように朝廷の許可の必要な高貴なものでした。鎧や兜の絵革の文様にはよく使われます。

 ごくたまに「天平十二年八月」と書かれたものもあります。これにも唐獅子牡丹や不動明王がよく描かれています。天平ですから、正平より古いかと思ったら、これは江戸時代に考案されたもののようで、「天平革(てんぴょうがわ)」「天平御免革(てんぴょうごめんがわ)」とよばれ珍重されたそうです。江戸時代の偽装表示です。

 

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

※この記事の無断引用は固くお断りします。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。