三種の神器 鏡 その二
神武天皇の携える三種の神器。手に金色のトビのとまっている梓弓を持っています。
銅鏡は、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡からたくさん発掘されています。その中でも代表的なのが三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と呼ばれる、直径十五~二十センチくらいの円形で周囲の断面が三角形になっている鏡です。伊勢神宮にある八咫鏡(やたのかがみ)はこれよりもずっと大きく、伝えられる見聞録によれば「八頭花崎八葉形(やつがしらはなさきはちようけい)⇒写真参照」で、四十六センチほどの大きさとなっています。かつては、銅鏡は中国や朝鮮半島からもたらされたものと思われてきましたが、近年ではその多くは日本国内で製作されたものとする説が有力です。やや凸面鏡で、鏡面を上向きに置いたとき安定するように周囲が三角形に盛り上がっています。令和五年二月、奈良の富雄丸山古墳でとんでもない鏡と剣が発見されました。盾形の銅板に神獣文様が入った鏡と、二メートルを超すうねった蛇行剣です。当時の奈良にこうした優れた金工職人がいたことを示しています。神武東征(※)の際の事情を解くカギになるかもしれません。
二メートルを超す大刀といえば、名古屋・熱田神宮には斬馬刀と呼ばれる巨大な太刀(二メートル二十二センチ)があります。姉川の戦いで朝倉軍の真柄直隆(まがらなおたか)が使ったというもので、同寸、同重量のレプリカが同神社草薙館に展示されており、実際にさわって持ち上げることができます。どうぞ持ってみて下さい。
(※)神武東征
古事記、日本書紀に載っているお話で、紀元前七世紀、九州日向から瀬戸内海を通って東へ向かい、幾多の敵を倒しながら最終的に今の奈良県橿原(かしはら)に都を築いたという言い伝え。金のトビがとまっている弓を持った神武帝の人形は、この時の姿を表しています。古事記、日本書紀はここから千数百年を経過してから書かれているため信憑性については諸論があります。
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