冠 その二
男雛の冠
男雛のかぶっている黒い帽子、これは「冠」なのですが「烏帽子(えぼし)」とよぶ方がしばしばいらっしゃいます。烏帽子は「黒い帽子」の意味ですから、そう呼ぶのも無理はないかもしれません。でも、やはりこれは「冠」なのです。英国チャールズ王の戴冠式で世界中に報道された王冠、王様の冠としてはあれくらい立派だとだれが見ても冠ですが、日本でもこのようなゴージャスな天皇の冠はあるのです。冕冠(べんかん)とよばれるもので、孝明天皇(明治天皇の父)までは用いられており、中央の先端の日章旗のような太陽の中に八咫烏(やたがらす)を配したわが国独特のものです。明治天皇から使われなくなってしまって、ちょっと惜しい気がします。皇后にもこのような冠があり、寶冠(ほうかん)と呼ばれます。
即位礼などでは、本来ならこの冠が用いられるところなのですが、代わりに用いられるのでこの黒い方も「冠」と呼ぶのでしょう。あるいは、正式の行事にかぶられるものは形を問わず冠と呼ぶのかもしれません。
明治天皇は即位礼のとき、父帝まで用いられていた「袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)という装束を現在のような黄櫨染の束帯に改められました。「光る君」で幼い一条天皇が即位のときに着ていたのが袞冕十二章です。明治天皇はこの中国風の装束をチャラチャラしていると嫌って変えられたそうですが、せっかく改めた黄櫨染の束帯ものちに惰弱だとして、軍服を着用されるようになりました。明治6年に髷(まげ)も切られ、冠もかぶられなくなった姿を見て、後宮の女官たちは腰を抜かしたそうです。それまでは白いお化粧もしておられたのですが、以降はほとんどされなくなったようです。明治元年のこの即位礼の黄櫨染の束帯装束が現代まで続いているのですが、それ以前の即位礼には中国風の衣装と冕冠が用いられていたのです。
余談です。天皇の装束を改めるにあたって後宮の女官たちの強い反発があり、当時の明治政府は多くの女官を免職させ、そのせいでやり方がわからなくなってしまった宮中儀礼があり、儀礼そのものを改めざるを得ないような状況もおきたようです。
ちなみに袞冕十二章の袞は「袞衣(こんえ)」とよばれる衣装のこと、冕は「冕冠(べんかん)」という冠のこと、十二章は袞衣に刺繍されている模様のことです。日、月、星座、龍など十二種類の縁起のよい図柄です。
知っていても何の役にも立ちませんが、お雛さまを飾るときに思い出すとなぜかちょっと楽しくなります。
明治天皇から使われなくなった冠(冕冠)
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