連載 重箱のスミ ⑰

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女雛  ~その二~

  女雛の髪型  源氏物語 末摘花をオマージュ

いよいよお雛さまのどうでもいいけど知ってると楽しい重箱のスミをほじくります。

 髪型と言えば、平安時代の成人女性は真ん中分けのストレートのロングヘアオンリーでした。黒くつやのあるストレートヘアが美醜の基準となっていたようです。・・ということにものの本ではなっていますが、実際お顔立ちは二の次かというとやはりそうではなく、かなり問題にはなっていたようです。

 源氏物語に末摘花という女性が出てきます。零落した貴族の娘ということで興味を抱いた源氏が求愛し思いを果たすものの、雪の日の朝、姫の顔を見てしまった源氏はその顔立ちに仰天します。長い黒髪は美しいのだけれど、骨ばった顔で鼻が大きく垂れさがってその先が赤くひどいありさまと酷評しています。鼻が垂れ下がるというのは誇張でしょうが、想像するに欧米人的な彫りが深く鼻の高い、現代的な美人だったのかもしれません。この末摘花が着ていたのが黒貂(くろてん:フルキ)の表着(うわぎ)です。今で言えば、黒セーブルの超ロングコートです。平安時代でも毛皮の衣があったのですね。昔も今も超高級品です。おそらく、アイヌとの交易で北海道産の黒貂コートが手に入ったのでしょう。ひょっとしたらロシア産の黒貂だったかもしれません。当時は日本海側の方が「表日本」で、東南アジア、中国、朝鮮、ロシアなどとの交流があり、アイヌや琉球からの商船も敦賀や富山、酒田などの港に頻繁に出入りし、貿易が行われていました。北海道はアイヌの領域で、当時、高麗や宋民族も多く住んでいた現在のウラジオストク辺りから北海道経由で中央にさまざまな物資がもたらされたこともわかっています。黒貂もその中のひとつですが、ひょっとしたらロシア系の血が末摘花には入っていたのかもしれません。胴長といわれていますが、身長そのものが高かったのでしょう。

(妄想)末摘花が赤い長袴の上にブラックセーブルの超ロングコートをまとって、ランウエイを歩く姿を想像してみてください。スーパーモデルです。

 雪の日、ふたりでくるまった黒貂の表着は暖かかったに違いありません。

 末摘花の顔を見てしまった源氏はびっくりするのですが、彼の偉いのは、それでも末摘花の心根を愛し生涯面倒を見たことです。

 で、髪型ですが、全体に長い髪なのですが、一部耳の辺りから一束くらいを肩の下くらいの長さに切り、前に垂らします。これを鬢削ぎ(びんそぎ)といいます。これがあると可愛らしさが増すのですが、この部分には別の用途がありました。末摘花のことでもわかるように、女性はそう簡単には男性に顔を見せません。男性の前に出る時は檜扇で顔を隠します。檜扇が手元にない緊急事態のときは、袖やこの鬢削ぎで顔を隠すのです。

 この髪型のときは、頭の上に留めることができないので釵子はありません。木目込人形の多くにはこの髪型でも釵子がつけられていますが、これも「人形だから」ということで見逃して下さい。可愛いからいいのです。

 末摘花は別名「紅花(べにばな)」で、鼻の先の赤いのをからかってつけられたのですが、その長い鼻の先を摘んだらいいのに、という意味で末摘む鼻と紫式部が名付けたのではないかともいわれています。   ~つづく~

 鬢削ぎ

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これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

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