連載 重箱のスミ ⑳

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女雛  その五

  裳(も) ~三~  鳥毛立女屏風

 正倉院の御物に有名な「鳥毛立女屏風(とりげたちおんなびょうぶ・とりげりゅうじょびょうぶ)」があります。教科書にも載っている、日本で最も古く、有名な絵屏風のひとつです。これが描かれたのは聖武天皇の時代とされています。羽毛の断片のDNA鑑定などによって、わが国で製作されたことがわかっています。八世紀の半ばではないでしょうか。平安時代の直前です。

 百人一首では小野小町は十二単の姿で描かれています。小野小町は西暦800年代前半の生まれのようです。つまり、鳥毛立女は小町の数十年から百年ほど前に描かれており、小町のおばあさんかひいおばあさん世代の姿であろうと推測できます。ここから平安時代初期のころには、鳥毛立女屏風のような姿が貴族の女性の一般的な装束だったと考えられており、京都の時代祭りでも小野小町の装束はそれに近いものになっています。百人一首は鎌倉時代以降に描かれているので、小町の時代の実際の装束が描かれてはいないのです。  ~つづく~

鳥毛立女屏風(写)

頭髪や衣装のところには山鳥の羽毛が貼り付けられていました。裳の説明にはどうしてもこの衣裳が必要です。

ちなみに、これは高さ1メートル60センチほどの六扇(六曲)屏風の内の一扇です。この「重箱のスミ」でも後で触れますが、屏風はこの六扇が古代から基本形です。

 

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