連載 重箱のスミ  ㉒

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女雛 その七

 裳(も) ~五~

 鳥毛立女や、小野小町が京都の時代祭りでまとっているジョーゼットでできたスカートのような装束、これは単(ひとえ)の巻きスカートになっています。唐風の装束ですが、九百年代になると装束も次第に和風に変化し、この巻きスカートが形式化して腰の後ろを飾る裳(も)になりました。唐風装束ではこの巻きスカートで衣裳をまとめていたので、後に腰の後ろだけを飾る裳になってからもそこに付いている帯で衣裳全体をまとめるやり方は変わらず、現在まで同じかたちで残っています。

 この裳は写真のように、八枚の細長い裂地を縦に縫い合わせた大きな布地と、大腰という背中にあてる板、小腰、引腰の二種の帯、それに小紐という紐でできています。長い裳は欧米のゴージャスな結婚式で見られるような長いスカートのウェディングドレスを連想します。洋の東西を問わず、このかたちは女性をより美しく見せる働きがあるのかもしれません。

 もとは巻きスカートなので、腰回りを一周半から二周するためには八枚の裂地を縫い合わせる必要があり、これが平安時代になって後ろ側にまとめるようになっても同じ形状で作られ、これによって生み出される畝(うね:ギャザー)が美しいラインをかたち作っています。雛人形でも、丁寧に作られているものは裳が八枚の細長い裂地を縫い合わせて作られています。  ~つづく~

美しい裳と後ろ姿。めずらしく唐衣が裳の上に着せられているので大腰などが見えませんが、作者の製作意図が感じられます。付け加えるならば、最近のお雛さまにはこの裳の端に着付け師の名前を書くことが多いのですが、せっかくのお雛さまの美しさが半減します。箱にも「立札」にも名前がかかれていますので、美しいお雛さまの場合は人形本体の「見えるところ」には書かない方が良いように思います。

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

※この記事の無断引用は固くお断りします。

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