連載 重箱のスミ㉕

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女雛 その十

 檜扇(ひおうぎ)

 檜扇は、男雛が持つ「笏(しゃく)」という板が発展したものと言われています。現在では宮司さんが読む祝詞は紙に書いてありますが、昔は笏に書かれていたそうです。この祝詞が長いと一本の笏に書ききれず、何本かの笏に書かれることになり、それを要(かなめ)で綴じたのが檜扇のはじまりといわれています。平安時代には女性の必携品となり、扇子のようにあおぐよりも顔を隠す役割の方が大きかったようです。男性がのぞき見しているのに気づいて、あわてて顔を隠すのに檜扇が間に合わず髪の鬢(びん)で隠すようなこともあったようです。

 実際の檜扇もそうであるように、扇の両端には松や橘の造花が飾られ、長い五色の紐がさげられています。畳むとき、この紐でくるくると巻くためです。

 日本で紙が作られるのは奈良時代以降です。また、仏教が伝来する6世紀ころまで、日本には「文字」がありませんでした。したがって、そのころの日本の様子は「魏志倭人伝」はじめ、中国や朝鮮の記録に依って窺い知るしかありません。8世紀初頭に書かれたという「古事記」は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦習(しょうしゅう)するのを太安万侶(おおのやすまろ)が書き取り、編纂したと言われています。誦習は暗誦とはちょっと違うようで、それまでにあった色んな資料を調べ、まとめたものを口述筆記したということらしいです。

 古事記、日本書紀がわが国ではもっとも古い書物なのですが、それ以前の7世紀に「帝記」「旧辞」という書物があったとされ、それらに記されていた内容と口伝が記紀にまとめられたと言われています。      ~つづく~

 

檜扇  手描きで松竹梅鶴亀などが描かれ、松橘の飾り花と五色の紐がついています。

お人形によって、いろいろなタイプのものがあり、有職系のちゃんとしたお雛さまにはこのような檜扇がつけられます。

 

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