連載 重箱のスミ ㉚

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女雛 その十五

 唐衣 ~五~

 衣と書いてキヌと読むことからもわかるように、平安時代ころには公家の衣裳はすべて「絹」で作られていました。農民などの庶民の着物は、それに対して布すなわち苧麻(ちょま:カラムシ、イラクサ)や麻などの繊維で、木綿は当時は舶来品で極めて高価なものでした。木綿がわが国で栽培され始めたのは鎌倉~室町時代のころといわれています。当時のお触れにも、庶民は苧麻などの着物、庄屋クラスで紬(つむぎ:くず絹をつなぎ合わせた糸で織った布)まで、とあり、絹の着物を着ることは許されていませんでした。紬は、今でこそ大島紬など高級品の代名詞ともなっていますが、宮中では紬の装束はありえませんでした。

「から衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」

 古今和歌集にもある在原業平の唐衣の歌です。それぞれの句頭を取り出すと「かきつばた」となることでも有名です。「着つつなれにし」は着慣れるとともに「着続けてよれよれになった」意味も含まれ、それを糊で洗い張りしてしゃんと「張って着る」という、二重三重の意味がかけられています。

 当時の結婚は男性の通い婚、夫が来る時には妻は唐衣に裳をつけた正装で出迎えたということです。

「着つつなれにし・・」ほどではありませんが、柔らかく着せ付けられた唐衣。チョウチョが向かい合った文様です。後でふれますが、こうしたお人形にはイ草の畳の台が必須です。

今回で「重箱のスミ」も30回を迎えました。どうでもいいような、すみっこをほじくり返すようなことでも、回をかさねるとけっこう楽しいものです。そして、意外とたくさんのものごとにつながっていることが見えてきます。まだまだ続きますよ~!よかったらご意見をお聞かせいただけるとうれしく思います。

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

※この記事の無断引用は固くお断りします。

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