連載 重箱のスミ㉝

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五人囃子 その二

 きみたち、いくつ?

 また、五人囃子は子供の姿をしています。お小姓衆の設定なのでしょうか。お小姓といえば有名なのが信長に仕えた森蘭丸です。12歳で取り立てられたようです。他にも、前田利家は同じ信長に12歳、石田三成は秀吉に14歳、井伊直正は家康に14歳で取り立てられています。お小姓とはそれくらいの年齢のもののようです。しかし、五人囃子の髪型はその年齢ではなく、もう少し幼い年齢のおかっぱ頭で、せいぜい10歳くらいまでのものです。本来、それくらいの武士の子の髪型にはいろいろな種類がありました。子連れ狼の大五郎は、頭頂部と前髪、側頭部に少し髪を残しつるつるに剃り上げられています。武士の子の多くは、一部を残しつるつるに剃り上げたスタイルです。お小姓に取り上げられる年頃には若衆髷(わかしゅうまげ)という、大人の髪型に近いスタイルになります。この五人囃子はちょうどその中間くらいの、お小姓に採り上げられる前の髪型に見えます。近習の優秀な子供たちが演奏のために集められているところかもしれません。

 それにしても、なぜ、この子たちは官女や右大臣左大臣と同じような大きさなのでしょう。八頭身くらいあります。本来ならばもっと小さく四~五頭身くらいに作られないといけませんが、なぜか大人と同じ大きさに作られています。こどもでもとりわけ背の高い大きな子を集めた設定かもしれません(笑)。

 男雛女雛が公家だとしたら、五人囃子は雅楽を演奏しているのが妥当です。また、その装束も武士の裃(かみしも)ではなく、直衣(のうし)、狩衣(かりぎぬ)のような姿のはずなので、この子たちは武家の子息なのです。髪型も公家の子ならば角髪(みずらがみ)という髪型で、かぶっている帽子も侍烏帽子(さむらいえぼし)ではなく、立烏帽子(たてえぼし)のようなものになります。

 もっとも、お内裏雛はお供の人形の何倍もある大きさなので、五人囃子だけを「大きすぎる」というのもおかしいのかもしれません。(※)

 これも、「人形なので」笑ってスルーしていただかなければならないところです。いろんな矛盾や誇張が入り混じっていますが、それぞれの立場の人々の要素が取り入れられていると考えれば、楽しさがいっそう増すというものです。

(※)お釈迦様の身長は丈六(じょうろく)といって一丈六尺、5メートル弱だったと伝えられています。貴い人は大きかったのでしょう。そう考えるとお内裏さまの大きさもうなづけます。

 

 

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