連載 重箱のスミ ㊳

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屏風をほじくる その二

様式美と屏風

 雪洞の問題にも触れましたが、メーカーや問屋では設定したスペースいっぱいに人形(お雛さま)本体を置こうとするので、自然と雪洞や桜橘、雛道具などを置くスペースが削られています。本来、どれも省いて良いものではありません。三曲の屏風を使うと、左右に袖部分が出っ張りますのでどうしても火袋のふくらんだ雪洞を置くことが難しくなります。そこで妙に細長い雪洞にしたり、「なくてもいいんじゃない?」とばかりに、屏風に小さなLED灯を仕込んだりして雪洞が次第に姿を消しつつあります。

 また、ネットでの検索が一般化されてきたことにより、多くの人形製作者が雪洞や雛道具を略し、それがいかにもおしゃれのように掲載することで、同じ金額の雛飾りならば人形本体の占める割合を大きくしようとする動きにも一因があります。

 お雛さまの美しさとは、周囲の道具類も含んだ歴史や伝統に裏打ちされた「様式美」です。伝統にとらわれないものを一概に否定はしませんが、問題はそれが一部の商品でなく大勢を占めつつあり、逆に様式に則ったお雛さまが少数派になってしまったことです。様式を無視した雛人形がふえれば、その次に来るのは雛人形・ひな祭りの消滅です。様式を備えない雛人形は、様式によって支えられているひな祭りそのものの意味を欠くことになるので、どうしてもおもちゃやベビー用品的なお飾りになってしまいます。大人になっても、おばあちゃんになってもお祝いするひな祭り。そのひな祭りをするためのしつらえであることを忘れた雛人形は、ただの面倒くさい飾りものになりかねません。

※次回は屏風の上下について。乞う、ご期待

 

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