お雛さまの緋毛氈(ひもうせん)とナポレオン
お雛さまにつきものの赤い毛氈。この緋毛氈は一般的にフェルトでできています。江戸時代の初めころ中国から製法が伝わったようで、寛永(千六百二十四~千六百四十四年)時代に長崎のおくんちの山車(だし)に用いられたのが最初とも言われています。
フェルトは、タテ、ヨコの糸を互いに交差させて織るふつうの布と違い、不織布といわれるようにヒツジなどの毛を絡ませ圧縮することによって作られる布です。
享保時代(千七百十六~千七百三十六年)にインフルエンザ、天然痘、はしかなどが江戸で大流行し、当時、赤い色が疫病除けと信じられていたため、もともと厄除けの意味を持つ雛人形の下にも緋毛氈が敷かれるようになりました。
赤べこ、ダルマ、赤ミミズク、赤い金太郎など、子供の疫病除けに赤い玩具や人形もたくさん作られました。特に赤鍾馗(あかしょうき)は最強の疫病除けとして、人形だけでなく版画にも刷られて飛ぶように売れたそうです。
さて、毛氈の緋色(ひいろ)、つまり赤色は茜(あかね)を主にした染料で染められます。茜は血をきれいにしたり、解毒、強壮の効果があるとされる漢方薬でもある、やや紫がかった濃い赤い原料です。茜からできた絵具はMADDER(マダー)色と言って、やや透明感のある濃い赤で、ローズマダーとかピンクマダーという名で絵具になっています。この茜だけだと紫がかった少し暗い赤なので、紅花(べにばな)を混ぜて明るい緋色にします。紅花も漢方薬として用いられ、血行促進や皮膚病にもいいとされています。そこで、ふんどしや女性の腰巻など、肌に触れるものにはこの紅花染めがよく用いられました。遠くヨーロッパにもこの評判は伝わって、あの有名なナポレオンの肖像画、たいていお腹のあたりで服の下に手を差し入れていますが、これは、ナポレオンは疥癬(かいせん)に悩まされてお腹を搔いているところだそうで、服の内側の赤い色は日本の紅花で染められているという噂です。
ちなみに、紅花は別名「末摘花(すえつむはな)」で、源氏物語に出てくる女性の名前にも使われています。たいへん長い赤鼻の女性で「鼻の先(末)、少し摘んだら?」の意味を含ませているのではないかと想像しています。
こうした多くの意味を緋毛氈は持っているので、これだけでお子様にずいぶん面白い話を聞かせてあげることができます。緋毛氈はお雛さまには必須アイテムとも言えるものですので、ぜひお雛さまの下には敷いてあげて下さい。毛氈のあるなしで「雛祭り」のイメージは大きく違ってきます。「ハレ(晴)」と「ケ(褻)」という考え方を柳田国男が提唱しました。ハレとは節句や結婚などの祝いの日のこと、ケは普通の日のことです。欧米でもハレの行事には赤い毛氈を敷きます。レッドカーペットです。アカデミー賞でもそうですし、国賓が来るとき、飛行機のタラップからレッドカーペットが敷かれます。
昔から節句はハレの日の代表的なものでした。三月三日には上巳の節句、ひな祭りのしつらえとしてお雛さまを飾ります。その時に、普段は使わない緋毛氈(レッドカーペット)を敷いてその上にお雛さまを飾ることで、「ハレの日」であることをだれもが認識することができます。緋毛氈にはこうしたたいへん重要な役割があり、世界中で用いられています。
緋毛氈
かゆいの?
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