雛人形のお守り 犬筥入荷しました!

犬筥はもともと赤ちゃんのお守りなのですが、お雛さまのお守りのようによく飾られます。

そんな犬筥が、遅くなりましたが京都からいちどきにできあがってきました。

新作もあり、可愛い!

百数十種のお雛さまの中からお気に入りのお顔・衣裳のお人形を選んでいただき、お客様ごとに屏風やぼんぼりなどの雛道具を人形に合わせてお揃えいただくという楽しい作業をお手伝いします。その雛道具のひとつがこの犬筥です。ほかにも貝合せや様々な種類の桜橘または紅梅白梅、ふくら雀などの御殿玩具等々、伝統的で可愛らしい雛道具をお揃えしています。

老舗専門店でなければ見られない雛飾りをどうぞご覧ください。

只今無休営業中です。駐車場有り。

 

 

雛人形の  重箱のスミ 52

貝合わせ

 

同心円状に並べます。多い方が楽しい・・

一組の貝合わせを飾るときは左右違う絵にします

 

昔から、というのは平安時代よりももっと前から、という意味ですが、浜辺にはたくさんのきれいな貝殻がころがっていて、女の子たちにはとても魅力的なものだったでしょう。そんな貝殻を集めて「あたしの貝殻の方がきれいよ」といって競い合ったのが貝合せです。貝殻の内側に絵を描くようになる前には、貝殻そのものの美しさを競ったものでした。「合わせ」とは、一組の貝殻を合わせることではなく、美しさや優劣を「競う」という意味だったのです。他にも三月三日に行われる「鶏(とり)合わせ」や端午の節句に行われる「菖蒲の根合わせ」など、たくさんの「合わせ」の例があります。菖蒲の根合わせについては、葉や花ではなく「根っこ」の立派さを競うという、ちょっと現代とは違う感覚のものでした。一月には「若松の根合わせ」というのもありました。

貝合わせは、似たような模様のハマグリだけを使うことでゲームとしての楽しさが増し、内側に絵を描くことで答え合わせができるようになりました。平安時代には、三百六十個くらいの数で行われていたといわれますが、実際には二百~五百くらいまであったようです。貝合わせを行う前には日柄を占い、当日は数名の神官が審判(レフェリー)となって行われていました。ゲームというより、神事に近いものだったのかもしれません

貝をまずばらばらにし、並べる方(地貝)と、一つずつ出していく方(出貝)に分けます。地貝を画像のようにすべてうつぶせに同心円状に並べ、その中央に片方の出貝をひとつうつぶせに出し、そのお相手の貝を外側の模様で探します。内側の絵が合っていれば正解です。うつぶせに貝を並べるので「貝覆(おお)い」とも呼ばれます。

当店では内側に本金箔を押して絵を描いていますが、箔ではなく金泥を地に塗ったり、あるいは貝殻に直に絵を描いたものもあります。

この貝合せを行うのに必要なのが「貝桶」です。前にも「行器と貝桶」でご説明しました。数百という数ですので保管するとき底が抜けないよう二重になっており、がっちりした脚がついています。

貝合わせは、他の貝とは決して合わさらないことから夫婦和合の象徴とされ、貝桶とともに嫁入り道具の最も大切なものとされました。しかし、たいへん高価なもので公家や大名家でないと持つことができなかったため、骨董品として世に出てくることは滅多にありません。徳川美術館などには多くの貝桶貝合わせが収蔵されていますが、なかなかじかに見たり手に触れることが難しいもののひとつです。

「その手は桑名の焼き蛤」と言われるように、桑名はハマグリの名産地なのですが、現在は絶滅危惧種Ⅱ類に指定され保護されています。

縄文時代の貝塚などからもハマグリがたくさん出てきます。アサリやシジミもありますが、ハマグリが最も多いようです。これは、やっぱり「おいしい」からでしょう。大きくて食べやすいし、なによりおいしい!ハマグリのおいしさは貝の中でも別格です。そして、貝殻がきれい!他の貝とは決して合わないと縁起物の理由としてあげられますが、シジミでもアサリでも他の貝とは合いません。やはり、「おいしい」のと「きれい」が、貝合わせになり、結婚式などの縁起物としてお吸い物になったりする一番の理由だと思います。ちなみにハマグリの旬はちょうどひな祭りの頃です。

きれいと書きましたが、とれたばかりのハマグリの表面は薄い皮膜でおおわれていて、これをペーパーで削り落としたり、薬品で溶かしたりするときれいな貝殻があらわれます。けっこう、手間がかかります。

 

 

節句文化研究会では、こうした 面倒臭いけどなんだか楽しい節句のお話を出前しています。カルチャースクール、各種団体、学校などお気軽にお問合せください。→HP最後のお問い合わせメールからどうぞ

これまで、いくつかの和文化カルチャースクール様、ロータリークラブ様、徳川美術館様、業界団体様、中学の授業などでお話させていただいています。

※この記事の無断引用は固くお断りします。

雛人形の 重箱のスミ 51

謹賀新年

お正月なので縁起よく、末広がりの話題です。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

お雛さまは縁起のかたまりといっても良いくらい、すみからすみまで気配りがされています。ですから、生半可な思い付きで様式を変えたりすると、見る人が見たときとても妙なことになる場合があります。さらに、不思議と「様式」に則(のっと)ったお雛さまというのは流行(はやりすたり)に左右されず、とても美しいものです。

そんなお雛さまの世界にいざなうのは、重箱のスミをほじくるような楽しいお話の数々です。どうぞお楽しみください。

 

雛人形の檜扇

実際の檜扇の飾り花

 

女雛が持っているきれいな扇を檜扇(ひおうぎ)といいます。名前の通りヒノキでできています。

まだ紙のない時代、長い祝詞(のりと)などを書き記すのに一枚の木簡(笏)では足りず、何枚かに書いてその一端を糸や金具で留めたのが始まりとされています。板の数は八の倍数とされ、女性の場合は八×五の四十枚、ここから偶数を嫌って一枚減らし三十九枚とされています。この板のことを橋と呼びます(お菓子の八つ橋と関係があるんだかないんだか・・)。雛人形の持ち物としての檜扇は、そんなにたくさんの枚数では作れないので十数橋になっていて、松竹梅、鶴亀などの縁起の良い絵柄が描かれています。

この両端に造花がつけられ、そこから長い色糸が垂らされています。この糸は緑、紅、白、黄、紫、淡紅の六色で、実際にはこの糸で閉じた檜扇をくるくる巻いて手に持ちます。で、そこについている造花ですが、雛人形には松、梅、橘がつけられます。良い雛人形には扇そのものも手の込んだ絵が描かれ、造花、糸も美しい絹糸で作られます。松、梅、橘は高倉流、山科流では松と梅だけといわれますが、いずれにしても松、梅、橘以外の造花は付けられないようです。

松、梅ときたら竹と行きたいところです。ここに橘がつけられるようになったのは、橘家と関係のある九条家が有職故実の流派であることが関係しているのかもしれません。

小さな雛人形の道具ですが、緑の松などが描かれていることが多く、これを持たせることによって紅や朱色系の多い女雛の装束にワンポイント補色が入り、全体を引き締める効果もある重要なパーツのひとつです。

 

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お雛さまの 重箱のスミ㊿

犬筥(いぬばこ)と唐獅子

とうとう、このシリーズも50回を迎えました。1回目は5月です。

最初のころは短かったのに、だんだん興が乗ってきて長文になってしまい申し訳ありません。調子に乗って、まだまだ続きます。

 

犬筥

 

犬張子

 

古いお雛さまの両脇に犬筥が置かれていることがあります。枕のようなかたちの人のような貌(かお)をした犬で、上下に分かれて中にものを入れることができるようになっています。一般的なのは二十センチ前後で、大きなものは一メートルを超すものもあり、ほとんどが張子(紙製)で、金箔を押したり美しい吉祥文が描かれています。

現代でも作られていて、多くは素焼きに彩色されたものになっています。

犬は縄文時代の遺跡からも出土されているように、はるか古代から人間の友達です。人によくなつき、知らない者が来ると警戒して吠え、危険があれば主人を守って戦ったりもします。また、犬はお産が軽く育てやすいこともあって、「厄除け」「安産」の象徴となったと考えられています。

犬筥は「御伽犬(おとぎいぬ)」とも呼ばれ、嫁入り道具のひとつで夫婦の寝室にティッシュ箱として置かれたとも言われていますが、よくわかりません。几帳(きちょう)が風でひらひらしないように重石として使われたものが犬筥に発展したとも言われています。(「几帳の獅子も恐ろしげに・・・」出典の記憶不鮮明)

ティッシュ箱はともかくとして、犬筥が「箱」であるもっともらしい理由は、箱の中に赤ちゃんの爪とか髪の一部を入れ、近づいてくる「魔」を赤ちゃんから逸らすためというものです。お守りを入れることもあります。であれば、女の子だけでなく男の子でも飾られていいように思います。かつて、上皇后さまはお孫さまたち~悠仁さまにも犬筥を贈られたそうです。民主党政権時代に、菅総理の伸子夫人がときどき犬筥のブローチをつけていたのも思い出します。厄除けだったのでしょうか。お蔭で原発も大爆発を免れたのかもしれません。

文献にもあまり出てこないので断定はできないのですが、犬筥や几帳の重石(おもし)としての獅子は奈良時代頃から存在したと考えられています。重石の獅子が犬筥に発展したという経緯はわかりませんが、「几帳の獅子も恐ろしげに」とあるように、ちょっと怖いお顔だったので可愛らしいかたちにだれかが創作したのでしょう。この犬筥が後にお宮参りの「犬張子」になり、また一方、神社の「狛犬(こまいぬ)」に発展したということです。

「獅子」と「狛犬」は同じものなのか?この点については全国の狛犬を調べている方たちがいらっしゃるのでそちらにお任せするとして、現実のかたちとしては若干違います。いずれにしてもどちらも想像上の生物なので、言葉上のことにだけ触れておきます。

獅子とはライオンのことです。ここでいうのは獅子は獅子でも「唐獅子」のことです。健さんの背中の唐獅子牡丹の獅子です。歌舞伎の連獅子や、能の石橋でも出てきて縁起の良い動物のようです。唐獅子というくらいなので中国のライオンなのですが、中国にライオンはいません。しかし、平安時代の始め、慈覚大師(円仁。伝教大師最澄とともに初めて大師号を賜った)が唐へ渡った時、道中記に一行が獅子に出くわしたことが書かれています。これは、当時、インドへ仏教修行のため多くの中国僧が行き来していたので、その人がたちがインドライオンを連れてきたのではないでしょうか。想像上の動物とはいうものの実際にライオンを見たことのある中国人は何人もいて、それを描いたものが伝わったものではないかと思います。

もとい。こうして犬筥は赤ちゃんのお守りであるばかりでなく、今ではお雛さまのお守りのように飾られるようになりました。

※犬筥は向かって右が雄、左が雌とされています。細かいことをいうと、雌雄の違いはその首輪(ヒモ)にあります。オスは男結び、メスは女結びで結ばれます。とは云うものの、その違いを判別するのは難しく、古い犬筥を拝見しても私にはよくわかりません(笑)。

 

 

 

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雛人形の飾り方

ローボードに飾ったお雛さま

〇 いつ?

 ※初節句は早めに、通常は雨水~2月末に

雛人形を飾る時期についてはいろいろ言われています。お嬢様の初節句の場合にはお披露目の意味も含めて1月から飾る方もいらっしゃいますが、一般的には2月の立春過ぎから2月末がよろしいでしょう。よく言われる雨水の日は2月18日ころですので、タイミング的にも良いですし、遅くとも2月末までに飾っていただければよろしいかと思います。

地方によっては、ひな祭りを「旧暦」や1ヶ月遅れの「月遅れ」で催されるところがあります。

もともと旧暦での行事ですし、季節感で言っても旧暦や月遅れの方が合致しています。

ですからお雛様の桜は満開になっています。

日柄を気にされる方は仏滅など避けられればよろしいですが、あまり気にしなくてもいいかと思います。六曜は旧暦に従って順につけられています。旧暦3月3日は必ず「大安」です。一方、5月5日は必ず「先負」です。

 

〇 どこに?

 ※見守られる場所に。  キッチン近くは避けて。

  直射日光、エアコンの風のあたるところを避けて

床の間があれば一番よろしいのですが、マンションなどにお住まいで床の間のないご家庭も多くなっています。棚の上、タンスの上など、ひな祭りのしつらえとしてお祝いのときに見やすい場所が適しています。ただ、キッチンの近くなどは、油などが飛ぶことがありますので避けてください。特に、焼肉などされるときは紙や布をかけていただくことをお勧めします。

方角を気にする方もいらっしゃいます。南向きや東向きといわれますが、それよりも「お守り」ですので、お子様やご家族を見守ってくれる場所がふさわしいと思います。

〇 だれが?

 ※お子様が大きくなったらご一緒に

どうしてもママが飾ることが多いのですが、大きなお雛さま、特に段飾りなどはパパの力も必要になります。可能であれば、おじい様おばあ様もご指導係として参加されると、近づくひな祭りのワクワク感がより増します。このときに、少し大きくなったお子様には、どんなふうにお雛さまを購入したかとか、どんなに初節句が楽しみだったかなどお聞かせいただくと、お子様の自己肯定感を育みます。

〇 男雛女雛の左右

 ※どちらでも

大正時代までは男雛は向かって右側にならべるものでした。これは、向かって右側は上座、上手(かみて)と言われているからです。昭和天皇ご夫妻の写真が新聞に載ったとき、たまたま天皇が左になっていたため、当時の人形協会が男雛を左にしようと決めました。以来、男雛が左になっていますが、どちらでもいいかと思います。よく、京雛だから男雛が右、のように言われますが、「時代によって」というのが本当の所です。

一方、桜と橘はお雛さまには付き物ですが、これは、向かって右に桜、左に橘としてください。現在でも、御所や平安神宮などではそのように植えられているからです。

〇 どのように

 ※ひな祭りは宵祭り

「明かりをつけましょぼんぼりに~」とあるように、ひな祭りは宵祭りです。ご親戚、友人などをお招きしてお食事をするのがメインとなります。また、「きょうはわたしも晴れ姿~」ともあるように、3月3日はハレの日です。ママたちもハレの日らしく、お着物なども改めます。

ここで気をつけなければならないのが、ママをはじめ女性陣の仕事です。なるべく、女性陣がなにもしなくてもいいように、男性陣は気を使いましょう。特にママはひな祭りだからと言ってお子さまの世話から解放されません。おっぱいやお風呂など普段と変わらない日常もそこにあります。お客様も長居をしないよう、また、酔っ払ったりは厳禁です。お友だちやおばあ様たちにもお手伝いいただいて、後でママがてんてこ舞いにならないよう、お片付けもしていただきましょう。

ひな祭りの始めに、お雛さまにもご馳走をお供えをして、お雛さまにお子様やご家族をお守りいただくようお祈りします。できれば、最後にそのお供えを皆さんでいただくと、なお結構です。

3月3日はお雛さまを片付けてはいけません。翌4日にもう一度簡単にお供えをして、1年間の無事を祈ってからしまいます。4日以降のお天気の良い=湿気の少ない時にしまって下さい。「祈る」というのが節句行事の本義です。それは、特定の神様ではなく、天の神様のような大きな存在に対する祈りで、何かの宗教によるものではありませんので、仏教徒でもクリスチャンでも雛祭りは催されるのです。

 

連載 重箱のスミ ㊾

お雛さまの緋毛氈(ひもうせん)とナポレオン

 

お雛さまにつきものの赤い毛氈。この緋毛氈は一般的にフェルトでできています。江戸時代の初めころ中国から製法が伝わったようで、寛永(千六百二十四~千六百四十四年)時代に長崎のおくんちの山車(だし)に用いられたのが最初とも言われています。

フェルトは、タテ、ヨコの糸を互いに交差させて織るふつうの布と違い、不織布といわれるようにヒツジなどの毛を絡ませ圧縮することによって作られる布です。

享保時代(千七百十六~千七百三十六年)にインフルエンザ、天然痘、はしかなどが江戸で大流行し、当時、赤い色が疫病除けと信じられていたため、もともと厄除けの意味を持つ雛人形の下にも緋毛氈が敷かれるようになりました。

赤べこ、ダルマ、赤ミミズク、赤い金太郎など、子供の疫病除けに赤い玩具や人形もたくさん作られました。特に赤鍾馗(あかしょうき)は最強の疫病除けとして、人形だけでなく版画にも刷られて飛ぶように売れたそうです。

さて、毛氈の緋色(ひいろ)、つまり赤色は茜(あかね)を主にした染料で染められます。茜は血をきれいにしたり、解毒、強壮の効果があるとされる漢方薬でもある、やや紫がかった濃い赤い原料です。茜からできた絵具はMADDER(マダー)色と言って、やや透明感のある濃い赤で、ローズマダーとかピンクマダーという名で絵具になっています。この茜だけだと紫がかった少し暗い赤なので、紅花(べにばな)を混ぜて明るい緋色にします。紅花も漢方薬として用いられ、血行促進や皮膚病にもいいとされています。そこで、ふんどしや女性の腰巻など、肌に触れるものにはこの紅花染めがよく用いられました。遠くヨーロッパにもこの評判は伝わって、あの有名なナポレオンの肖像画、たいていお腹のあたりで服の下に手を差し入れていますが、これは、ナポレオンは疥癬(かいせん)に悩まされてお腹を搔いているところだそうで、服の内側の赤い色は日本の紅花で染められているという噂です。

ちなみに、紅花は別名「末摘花(すえつむはな)」で、源氏物語に出てくる女性の名前にも使われています。たいへん長い赤鼻の女性で「鼻の先(末)、少し摘んだら?」の意味を含ませているのではないかと想像しています。

こうした多くの意味を緋毛氈は持っているので、これだけでお子様にずいぶん面白い話を聞かせてあげることができます。緋毛氈はお雛さまには必須アイテムとも言えるものですので、ぜひお雛さまの下には敷いてあげて下さい。毛氈のあるなしで「雛祭り」のイメージは大きく違ってきます。「ハレ(晴)」と「ケ(褻)」という考え方を柳田国男が提唱しました。ハレとは節句や結婚などの祝いの日のこと、ケは普通の日のことです。欧米でもハレの行事には赤い毛氈を敷きます。レッドカーペットです。アカデミー賞でもそうですし、国賓が来るとき、飛行機のタラップからレッドカーペットが敷かれます。

昔から節句はハレの日の代表的なものでした。三月三日には上巳の節句、ひな祭りのしつらえとしてお雛さまを飾ります。その時に、普段は使わない緋毛氈(レッドカーペット)を敷いてその上にお雛さまを飾ることで、「ハレの日」であることをだれもが認識することができます。緋毛氈にはこうしたたいへん重要な役割があり、世界中で用いられています。

緋毛氈

かゆいの?

 

 

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連載 重箱のスミ ㊽

お雛さまと花

    ~造花の美~

 お雛さまにつきものと言ってもいい「桜」と「橘」。最近は省略されたり、洋花が飾られたりして影が薄くなった感がありますが実は侮れない力を持っています。よくできた桜橘や紅白梅はなかなかお目にかかることが少なくなりました。「可愛い」に寄り過ぎたお雛さまがふえてきたので、どうしても簡素なものや洋花などになりがちです。

 しかし、この桜橘にもちゃんと専門の職人がいて、中には素晴らしい出来ばえを見せてくれる方もいらっしゃいます。

 わが国の造花の技術は世界でも突出していて、それは、京都の祇園祭などの装飾や、舞妓さんのカンザシ、さらには公家や茶道などで飾られる節会や四季折々のしつらえによって育まれたことによります。そうした造花を「有職造花」と呼びます。

 絵画彫刻など、およそ美術工芸と呼ばれるものの制作者はどんな分野であろうと資質としてデッサン力が備わっているか、訓練を重ね、見たものを作品に反映する技術を身につけていることが不可欠です。造花の場合は、その植物の成り立ち、性質を熟知し自然の力を畏怖しながら謙虚に写し、咀嚼(そしゃく)、再構築した上で単なる写実ではなく、用途に合わせて創造することが必要です。自然のものを対象にすることの奥深さ、難しさでしょう。そうした飾り花は、ときとして主役となるお雛さまをも選びます。

 源氏物語絵巻の竹河に桜が出てきます。平安時代でも桜は喜ばれたようです。しかし、その時代に花と言えば「梅」のことを指していました。当時の御所の前庭には紅梅白梅が植えられていたといいます。京都御所は遷都された当時は、現在の御所より1,8キロメートルほど西の現在の西陣会館の近くに位置していました。十四世紀建武のころに現在の場所に移っています。そのときに植えられていたのが桜と橘といわれています。平安神宮でも同じように桜橘が植えられているのを今も見ることができます。これにならって、お雛様の様式として桜と橘が飾られるようになりました。

 御所も平安神宮も南向きの建物の左右に植えられており、向かって右が桜になります。手の込んだ造花の桜はほぼ満開ですが、西側に当たる左側にはつぼみを多く配しています。

 こうして、お雛さまには桜橘が飾られるようになったのですが、木目込人形などでは紅梅白梅が用いられることもよくあり、お雛さまにはこのどちらかがその由来に沿ったものであると言えます。

桜と橘

紅白梅

 

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番外 重箱のスミ 

お雛さまのルール

今回は「重箱のスミ」ではなく、番外編、ど真ん中のお話です。

 雛道具のことを書き連ねてきましたが、少し思うところをつけ加えたいと思います。ちょっとお客様から嫌われるかもしれない部分があるので、お気に障ったらごめんなさい。

 ひな祭りってなんだろう?ってところに立ち戻ります。当たり前ですが「お節句」です。節句とはなにかといえば、季節の節目の行事という方もありますがその中身は「厄除け」であったり「祝い」、「祭り」だったりします。いずれにしても「生きていくための日常」からちょっと離れて、「大きな自然の中で生かされている自分を確認」したり、「ご先祖から今に至る縁(えにし)を振り返ったり」、ときには「浮世の憂さを忘れてパーっとやる」、つまりは「非日常」の日を一年間に何回か設けて、ときどき新たに生きる意欲をわきたたせる日ではないかと思います。柳田国男のいう「ケ(褻)」と「ハレ(晴れ)」です。節句やお祭り、婚礼、成人式などが「ハレの日」の代表的なものです。日常とは違う、華やかなしつらえ、衣装、食事宴会を設けて祝う日のことです。サトウハチローの「うれしいひなまつり」の歌詞にも「きょうはわたしもハレすがた~」とありますね。

 で、近年、お雛さまを「お部屋の雰囲気に合うかどうか」「赤ちゃんのイメージに合うかどうか」を基準に選ぼうとされる若いママがいらっしゃいます。

 お雛さまは日用品ではありません。非日常のハレの空間を作り出すためのアイテムなので、日常のお部屋の雰囲気に合うかどうかはあまり問題ではないのです。むしろ、お部屋の雰囲気を一変させるくらいでないと、ハレの日には似つかわしくありません。だから、お雛さまには真っ赤な敷き物(もうせん)を敷き(この赤にも厄除けの意味があります)、金の屏風をたて、ぼんぼりに火を灯すのです。

 例えば、お雛さまの下には親王台という、きれいな縁(へり)のついた畳の台がなければなりません。おしゃれっぽく見える板の台などに載っているものもありますが、位の低い人は畳に座ることが許されず板の上です。あるいは、なにかのお仕置きのために冷たい板の上に座らされているのでしょうか。木目込などの創作人形なら許される場合もあるでしょうが、いわゆる束帯、十二単などの衣装を着たお雛様は、作る職人も畳の親王台に載せられることを想定していますので、畳のない板に載せるといかにも異様です。

 お祝いや厄除けのためのものは、「縁起」が重要視されます。節句のお飾りには、当然、縁起の悪いものは避けなければなりません。「縁起」はセンスとかトレンドとかとは関係なく、「知識」「常識」によるものです。知らなければ、笑われるだけです。そして、本来、それは扱う者が心得ていなければなりません。結婚式に招待されたら、だれでも着ていくものを考えますし、スピーチで「切る」「別れる」という言葉を使ったら笑われるだけではすみません。レストランでスープ皿に直接口を付けて飲んだら、次からは絶対に誘われません。そうした「場」では、世間一般の「常識」や「ルール」があるのをだれでも知っています。ところが、雛人形はほとんどの場合、お客様は初めて購入するものなので縁起、つまり「ルール」について知らない方が多く、だから作る者、販売する者が気を付けなければなりません。ここで問題なのが、その「作る者」、「販売する者」がそれを意識せず、あるいは知らず、あるいは意識的に「お客様の好みに合わせる」という都合のいい言い訳を用いて、ぬいぐるみと同じテーストでお雛様を販売されることなのです。飾る場所など、物理的な条件が時代によって変化するのには、われわれも対応しなければなりません。しかし、お雛さまの「縁起」つまり「精神」はぶれないようにしないと、日本の文化・伝統としての雛祭りがすたれていまいます。

 そして、ハレの日のためという基本中の基本に思いをいたさないと、縁起だけでなく雛人形がベビー用品のひとつとなって、ほんの数年後、お子様がベビーでなくなった途端に粗大ごみになってしまいます。お客様にとってはとてももったいない、お世話した者にとってはとても申し訳ない、そうしたことにならないよう、あえて申し上げます。ごめんなさい。

連載 重箱のスミ ㊼

雛人形 羽子板・破魔弓飾 売り出し中!

お雛さまはベビー用品ではありません。ベビー服をはじめ、ベビー用品は淡いピンクのふわふわした可愛らしいものがほとんどなので、お客様の中にはそんなベビー用品と同様に、とにかく可愛らしいものをお求めになる方がいらっしゃいます。ベビー服と違うのは、お雛さまはお嬢様の一生を通じて雛の節句に飾っていただくものだということです。五十歳になったお嬢さまが飾ってくれるかどうか、大人になって「ママやおじいちゃんおばあちゃんが私のために用意してくれたたいせつなお雛さま」と、思っていただけるかどうか、ここが一番重要なところです。

多くの方が、数年でお雛さまを飾るのをやめてしまっています。ベビー用品としてお求めになったお雛さまでは、それは致し方のないことです。何万円もしたお雛さまが数年で飾られなくなるのは、私たち人形屋にとってもたいへんせつなく申し訳ないことです。流行のない、ある程度伝統にのっとったお雛さまであることが長く飾っていただけるポイントです。どこでお買い求めになるかにかかわらず、お気に留めていただきたい要点です。

この「重箱のスミ」シリーズは、今年5月3日から始まっています。

お雛さまにかかわる、どうでもいいような、だけど、知っているとちょっと楽しくなるようなお話がいっぱい詰まっています。だれも言わない、だれも書かない、ほとんど知られていない、重箱のスミッコにへばりついたお赤飯の粒のようなことばかりです。一般的なお雛さまに関する知識はどこにでも書かれていますので、あまり触れません。へえ~、ほお~、ふ~んの連続です。見慣れない漢字も多出しますが、我慢してお目通しください。

“お雛さまの” 重箱のスミ 第47話です。

雛道具と掛盤膳揃 ~その四~

  几帳(きちょう)と衣桁(いこう)

(お雛さまに使われる几帳)

 お雛さまの飾りにに几帳が使われていることがあります。今から四~五〇年ほど前は多くのお雛さまに使われていて、その品名を当時発売されたワープロで打つことがよくありました。当時は「きちょう」と打っても几帳が表示されず、「きちょうめん」と打って出た「几帳面」から「面」を削っていました。その作業中に、この「面」ってなんだ?と疑問に思ったのが、この重箱のスミをほじくるようなシリーズのきっかけだったような気がします。

 几帳は神社や、和式の結婚式場などで見ることができます。一メートル五~六十センチ四方のきれいな布が掛けられています。

 衣桁は呉服屋さんで広げた着物が掛けられている、几帳と同じような大きさの枠台のことです。和風の旅館などでは二つ折りになったものも見られます。衣紋掛け(えもんかけ)と呼ばれることもありますが、本来は着物用のハンガーのことです。

 また、几帳は四~五十センチ四方の四角の台に二本の柱が並んで立てられ、その先に横に取り付けた丸棒に、布を通した別の棒を紐で結わえ付けるのですが、衣桁は四角の枠の下部両端に台がついており、竿に通した着物を広げて掛けるようになっています。

 平安時代の御所では近世のように襖で仕切られた六畳とか八畳の部屋がなく、広い板の間に持ち運びできる畳が何枚か敷かれ、その周囲に几帳を立てまわして部屋にしていました。几帳が襖や屏風の役割をしていたのですね。几帳の柱はしょっちゅう手に触れるものなので、丁寧に面が取られています。この丁寧な「面」から「几帳面」という言葉が生まれました。ところが、几帳を見かけるたびに柱を見るのですが、今では几帳面な面取りを見たことはありません。現代ではすべて「丸い」柱ばかりです。名前がついているくらいなので、かつては非常に精緻な面取りが施されていたと思うのですが。

 面をとるというのは、木の柱など直角に削ったままのカドからはどうしてもささくれからトゲが出てケガをしやすいので、そんなことがないようにカドにカンナを当ててささくれが出ないようにすることです。この「面」の取り方にはたくさんの形状があって、「糸面」、「角面」、「丸面」、「銀杏面(ぎんなんめん)」、そして「几帳面」などと名付けられ、これらの面をとるためにさまざまなカンナも生み出されました。これも、すべて大切な人がケガをしないようにという配慮から生まれたものです。さらに、貴人の身の回りのものには面をとった後に漆が塗られ、間違ってもトゲでケガをしないように配慮されています。面をとっていない、塗装もされていないような白木の家具に貴人が触れることはなく、ですから、雛道具にはほとんどすべてに漆を基調とした塗装がほどこされているのです。最近は塗装されていない屏風や台などの雛道具を見かけることがありますが、基本的にありえないものであることを理解していなければなりません。

(几帳)

(衣桁)

 

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連載 重箱のスミ ㊻

雛人形売り出し中!

人形店もさまざまです。

お雛さまをベビー用品として扱っているお店と、節句飾りとしてのお店ではまったく違います。

当店はお節句(雛まつり)のためのお雛さまの専門店です。

雛人形がお節句のためって、当たり前のようですが当たり前でなくなってきています。

どこが違うのか、お気軽にご覧ください。

お雛道具と掛盤膳揃 ~その三~

 貝桶と行器

貝桶と小さな貝合せの貝(専門店でないと、まず扱われません)

よく混同されるものに「貝桶(かいおけ)」と「行器(ほかい)」があります。まったく用途が違うのに、形が似ているため間違われます。また、両方に「かい」がつくこともその原因になっています。

 まず、貝桶の基本形は八角形なのに対して、行器は丸型です。さらに、貝桶は下に頑丈な足のついた台(皿)がついているのに対し、行器にはなく三本ないし四本足になっています。

 貝桶の用途は「貝合わせ」をいれるためのものです。三百~五百といわれるたくさんの貝合わせをいれるため、たいへんな重さになるので底が抜けないよう台をつけて丈夫になっているのです。基本形は八角形ですが、雛道具では六角形のものが多くなっています。美しい組み紐が掛けられ、貝桶結びという独特の結び方で結わえられます(専門家でないと結べません)。

 一方の行器は、いろいろな道具類や衣装、さらにはお酒や食物も入れたりします。三~四本の足で底が浮かせてあり、湿気を防ぐようになっています。この行器にも紐が掛けられ、行楽など外出の時に長い棒の両端に、二つの行器をかけて運ぶ絵も残されています。「ほかい」の言葉は、外出の時に用いるため「外居(ほかい)」からきているとか、「楽のときの」で行器の字が当てられたとか言われていますが、実はよく分かっていません。

 貝桶はかつては最も重要な嫁入り道具とされ、大名家の嫁入りには貝桶奉行が行列の先頭となり、真っ先に貝桶を嫁ぎ先に運び入れます。町民が所持することはほとんどありませんでしたので、骨董(こっとう)の世界でも滅多にお目にかかれません。

 一方の行器は、骨董品店で見かけることがあります。

 お雛さまにはどちらもよく飾られますが、その用途を知っているとちょっと楽しくなります。

八角形の貝桶(本漆塗り、本金蒔絵)

行器(専門店ではこうしたお道具も単品で求められます)

 

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